腰痛の原因に新展開? ひっくり返ったストレス原因説
私は今まで、モルフォセラピーの考え方のなかには、精神面の話を一切持ち込んでこなかった。
背骨のズレによる症状は、すべて物理的な問題として説明し尽くせるので、精神の話が入り込む余地などないからだ。これは自動車の修理に精神の話が必要ないのと同じことである。
こんなことをいうと、人間の精神性をないがしろにしているように聞こえるかもしれない。だが体の不調に関しては、安易に精神面の話を持ち出すと主題がぼやけて正しい結論を導き出せなくなるはずだ。今の医療にはその傾向が強いのが気になる。
たとえば前回の協会の勉強会で、過敏性大腸症候群(IBS)の患者が背骨のズレの矯正で治癒した症例発表があった。
過敏性大腸症候群では、急な下痢を繰り返すなどの排便障害によって日常生活に支障をきたす。そのせいで会社や学校に通えなくなる人が増えて、今や社会問題化しているのである。
病院で検査しても、炎症などの具体的な原因が見つからないから、その多くが精神的なストレスが原因だと診断される。
ところがそう診断されてしまうと病院では決定的な治療法がないので、毎度のことながら「精神的ストレスをためるな」という話になってしまうのだ。
しかし「ストレスをためるな」といわれても、所詮ムリな要求である。老化の原因は年をとることなので、「なるべく年をとらないように」といっているようなものだろう。
実は過敏性大腸症候群でなくても、下痢や便秘が背骨のズレの矯正によって解消される例は珍しくない。ズレの矯正で難病の潰瘍性大腸炎が解消した例まである。
今はまだ、背骨のズレという物理的な現象が消化器の働きにまで影響することが知られていないだけなのだ。
しかし医学の世界では、検査によって肉体に問題が見つからなければ、即、精神の問題だと判断されることが多い。そのため腰痛からがんに至るまで、その原因の一つに精神的ストレスがドッカと居座るようになって久しい。
ところが最近、この傾向が変化し始めているようだ。
先日、腰痛治療界の権威として有名な菊地臣一氏(元・福島県立医科大学学長)の近著を読んで、整形外科における腰痛の考え方に大きな変化が訪れていたことを知った。
以前は、検査しても原因を特定できない腰痛は、精神的ストレスによるものだと診断されていた。その割合も徐々に上がっていき、しまいには腰痛患者の9割はストレスが原因だというセンセーショナルな数字になった。
それを報道するマスコミも「現代はストレス社会だから」といって、腰痛ストレス原因説を積極的に後押ししていたはずである。
だが2020年に出されたこの本では、ストレス説はすっかり鳴りを潜めていた。
その理由は、MRIなどの画像診断の進化と、痛みの部位を見つけるSTIR-MRIなどの登場によって、腰痛の原因を特定できるようになったからだという。
つまり以前の検査では、肉体に原因はないと診断していた腰痛が、「やっぱり肉体の問題でした~」と訂正しているのである。
そして今では、腰痛の8割近くは原因が特定できているというのだから、正反対の結論に変わったわけだ。これを進歩と見るか、単にふりだしに戻ったと見るかは微妙な判断となる。
もちろん、これで腰痛が治せるようになったかどうかが重要だ。この本が出てからすでに3年経過しているから、結果が気になるところである。
そんな関心に応えるように、ある健康系の雑誌で「腰痛の8割は原因がつきとめられる」という特集記事を見つけた。そこには、今までは原因が特定できなかった腰痛が、最新技術で診断可能になったことを大きく取り上げていた。「それならば」と期待してページを繰る腰痛患者の姿が目に浮かぶ。
ところがこの記事でも、決して腰痛が治るようになったとは書かれていないのである。専門医からのコメントでも、治療法として最も推奨されているのは「運動療法」だった。
これはストレス原因説のときと同じ論法で、腰痛が治るかどうかは、結局は患者の心がけ次第だという結論なのである。
さらに運動療法に対する医師たちのアンケートの結果は、「エビデンスには中程度の確信がある」と結ばれていた。エビデンスに対して「中程度の確信」という表現が成り立つことにもおどろいたが、私はつい「関白宣言」の浮気の下りを思い出してしまった。運動療法には「効果があるんじゃないかな」というレベルの話なのだろうか。
先述の菊地氏の本には「腰痛は3か月もすれば自然治癒する」と書かれていたので、運動療法の効果があったとしても、自然治癒との区別がつきにくい気もする。
運動といってもウォーキングなら、腰痛に対する効果には以前からエビデンスがあるのだから、そこを推してもらいたかった。
いずれにしても、ストレス説が腰痛の原因から後退した意義は大きい。今後は腰痛だけでなく、これまで精神的ストレスに転嫁されてきた多くの疾患が、肉体の問題へと回帰していくのだろう。
しかし仮に最新の検査方法で、腰痛の原因が「A」だと特定できたとしても、それで問題が解決したわけではない。そこから治癒率が飛躍的に向上しなければ、その原因「A」もまたまちがっている可能性が高いのだ。
私としては、病院での検査技術がさらに向上して、一日も早く背骨のズレの特定ができるようになることに期待している。(花山水清)
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これから増えるラムゼイ・ハント症候群
世の中には、一度も名前を聞いたことのない病気が山ほどある。ところがそのようなあまり一般的ではなかった病気が、いつしかありふれた病気になっていくこともある。
たとえばアトピー性皮膚炎は、私が子供の時分にはほとんど知られていなかった。それがあるときから、急にあちこちで耳にするようになった。これは花粉症も同様だろう。
また今の時季は、熱中症で救急搬送される人が多いが、一昔前までは熱中症などという言葉すらなかった。それが今では、子供がグラウンドでバタバタと倒れても、「またか」という程度でおどろきもしない。夏の風物詩的な情景にまでなっている。昔の感覚ならこれはとんでもなく異常な事態だが、慣れというのは恐ろしいものだ。
そんな熱中症も、背骨がズレていると発症しやすくなることは知られていない。大雑把な説明を許してもらうなら、背骨がズレていると発汗が滞って、体内に熱がこもってしまうから熱中症になるのである。
そして今はまだあまり聞き慣れないが、多分これから増えそうなのがラムゼイ・ハント症候群だ。これは水痘帯状疱疹ウイルスによって引き起こされる疾患で、帯状疱疹が顔面に出たときに起きる顔面神経麻痺や耳鳴り、難聴、めまいなどの症状の総称である。
帯状疱疹そのものも、以前はこれほど一般的な疾患ではなかった。完全に高齢者だけの病気であって、一度かかれば二度はかからないものだと思われていた。子供の水疱瘡と同じで、一度かかってしまえば免疫が獲得されると考えられていたからである。
ところが今では、高齢者どころか20代の若者でも発症する。しかも一度だけでなく、二度でもかかるようになってしまった。実はこの帯状疱疹の症状の発現にも、背骨のズレが大きく関与しているのである。
もちろん大元の原因はウイルスだが、ウイルスが潜伏しているだけなら、ふだんは何も起きない。ところが背骨がズレると、そのズレた部分で血流などが滞ることで、免疫も低下する。すると体内に潜伏していたウイルスが暴れだす。そうなって初めて、帯状疱疹として発症するようなのだ。
帯状疱疹の患者の体を見れば、必ず背骨が大きくズレた部分で発症していることが確認できる。その上、帯状疱疹の痛みだと診断された症状の多くが、背骨のズレによる痛みと重なっているのである。そのため、病院で帯状疱疹後神経痛と診断されて治療を受けたのになかなか治らなかった症状が、背骨のズレの矯正によって解消する例は少なくない。
ところが最近、病院では、50歳をすぎた人には帯状疱疹ウイルスのワクチン接種を推奨するようになってきた。帯状疱疹の発症のしくみもわかっていないのに、やみくもにワクチンを接種するのもどうかと思うが、その是非を私が口にするわけにもいかない。
そもそもなぜ帯状疱疹が増えているのか。その原因を突き止めるのが先ではないのか。もちろん私の考えでは、帯状疱疹が増えたのは背骨がズレる人が増えたからである。それならなぜ背骨がズレる人が急増しているのか。ここがいちばんの問題なのだ。
さて、ラムゼイ・ハント症候群の話に戻ろう。
ラムゼイ・ハント症候群のうち、いちばん困るのは顔面神経麻痺になってしまった場合である。病院ではまずはステロイド剤を集中投与するが、ラムゼイ・ハント症候群の顔面神経麻痺には、ベル麻痺よりもステロイド治療の効果が薄いそうだ。そうなるともう自然治癒に頼るしかなくなってしまう。
しかもラムゼイ・ハント症候群の顔面神経麻痺は、病院でなかなか診断がつきにくい。その分、治療開始が遅れて治りにくくなるから厄介だ。
しかし「顔面神経麻痺、難聴、めまい」と聞けば、モルフォセラピーの実践者には、「あ、頚椎のズレが原因だナ」とすぐに察しがつく。根本原因が帯状疱疹ウイルスだと診断されているなら、なおさらズレのせいであることは明白だろう。
ズレが原因だとわかれば、あとは矯正の結果も十分に予測できる。ただし、発症の原因となっている頚椎のズレを治しても、発症からある程度時間がたったものだと、その場でスパッとは治りにくい。その点はベル麻痺とも同じである。そうであっても、ただ自然治癒を待つよりは格段に予後はよいはずだ。
今後も背骨のズレと症状の関係が広く認知されない限り、このラムゼイ・ハント症候群のような、背骨のズレに起因する病気(病名)はどんどん増えていくだろう。だからといって、何でも背骨のズレのせいだと安易に考えるのも危険なことである。やはりわれわれは、背骨のズレと症状と病名との関係を正確に判断できるように、常に謙虚に勉強を続けていく姿勢が重要だと思っている。(花山水清)
ジョッキでビールが飲めない頚椎のズレ
あるとき、ジェット・リーのアクション映画を観ていたら、彼の首が中心軸から大きくズレているのが目についた。町中でも首のズレている人はちょくちょく見かけるが、彼ほど大きくズレている人はなかなかいない。やはりアクション・スターである分、一般の人よりも激しい衝撃を受けてズレてしまったのだろう。あれではアクションどころか、日常生活も不便なはずだ。
人の首の部分は、服で隠れていないから観察しやすい。頚椎や鎖骨のズレはもちろん、胸鎖乳突筋のこわばりや甲状腺の腫れなどからも、即座に相手の健康状態がわかる。また頚動脈に軽く触れてみることで、脈拍の強さや速度、脈を打つタイミングの左右のちがいからは、循環器の状態まで把握できる。
先日も、ある女性の頚動脈に触れると、左側が全く脈を打っていないので驚いた。第7頚椎のズレのせいで、左側の頚動脈の脈拍が弱くなることは珍しくないが、拍動が全く感じられないのは初めてだった。
通常なら、その場で頚椎のズレを矯正して症状の変化を調べる。しかしこの女性の場合は、動脈硬化など何らかの循環器の問題かもしれない。そうだとしたら、この状態での矯正は危険だと判断して、まずは病院で検査を受けてもらうことにした。
ところが検査の結果では、循環器には何の問題も見つからなかったのである。それなら原因の候補として残されるのは、頚椎のズレということになる。そこで、ズレている第7頚椎を矯正してみると、弱いながらも脈を打つようになった。
他にも、第7頚椎のズレはさまざまな悪さをすることがある。たとえば、左側の耳閉と鼻詰まりに悩まされている男性がいた。この症状だけなら、ふつうは第1、第2頚椎あたりのズレが原因である。
もし耳閉や鼻詰まりで病院を受診し、重症であればステロイドの集中投与が行われる。ところが彼はある難病の治療中だったので、すでにステロイドを使用していた。そういう患者にこのような症状が出るのは、医師からみてもふしぎだったらしい。
また耳鼻科で耳閉を検査すると、耳には水が溜まっていることが多い。そのため治療として鼓膜切開を受ける。しかし彼の耳には水も溜まっていなかった。こうなると何をどうしたらよいものか、病院では治療しあぐねていたのである。
そんな説明を彼から聞いたので、調べてみると第7頚椎が大きくズレていた。つまり彼の症状は第1、第2頚椎のズレではなく、通常とちがって第7頚椎のズレが原因だったのだ。
第7頚椎がズレると左の頚動脈を圧迫し、先の女性のように動脈の拍動に影響する。また頚動脈だけでなく頚静脈も圧迫されるので、うっ血状態を引き起こして耳閉や鼻詰まりになるのである。
さらに第7頚椎のズレによって、左肩から腕に向かって何らかの症状が出ることもある。彼にたずねてみると、やはりずっと左肩に違和感があったという。
こういった一見すると単純な耳閉と鼻詰まりであっても、左側に症状が出ているなら、第1+第2頚椎か、第7頚椎のどちらかのズレが原因となる。第1+第2頚椎のズレでは、耳や鼻の他に頭痛やめまいの症状も一緒に現れる。一方、第7頚椎のズレであれば、頭痛やめまいではなく、左肩や腕に症状が現れるのである。
そして第7頚椎がズレている人は、頭を後ろに倒せなくなるのも典型的な症状だ。そのためみな一様に、「ビールをジョッキで飲めなくなった」といって嘆いている。この状態で整形外科を受診すると、ストレートネックだと診断される。ところが彼らはもともとストレートネックだったわけではない。頚椎がズレた状態が、形としてストレートネックに見えるだけなのだ。したがってそのズレさえ治せば、ちゃんと頭を後ろに倒せるようになる。
実は病院の診断では、このように原因と結果が180度逆転した話が多い。原因と結果をとりちがえていれば、症状が解決しなくて当然である。しかも頚椎のズレという認識がないと、その症状が解決できないだけでなく、大変危険な場合もある。
病院では気楽に血流改善薬を処方しているが、頚椎のズレによる血流阻害は、水道のホースが折れ曲がって水が出にくくなった状態なのである。そんなところで急に水圧を上げれば、水の出は改善されてもホースが破れてしまう。それと同じことが脳の血管で起きれば脳出血となる。しかしこうして脳出血になっているのだとしても、だれもその原因に気付かずにいるだけなのだ。
確かに頚椎のズレに対する矯正は、モルフォセラピーの施術者としてもかなり慎重を要する。だから二の足を踏むこともあるだろう。だがその影響が大きいゆえに見過ごしにもできない。やはり十分に患者の状態に配慮した上で、この夏こそジョッキでビールが飲めるようにしてあげたいものである。(花山水清)
自然治癒力を最大限に引き出すモルフォセラピー
私は60歳を過ぎたあたりから、乾燥やら何やらで体があちこちかゆくなることが増えた。だからといって、病院で薬をもらうほど深刻なワケではない。加齢のせいだろうし、この程度のかゆみは自然に治ってしまうことが多い。友人の皮膚科医の話でも、皮膚病の多くは原因がわからないらしい。そのほとんどが、原因を調べているうちに自然に治ってしまうそうだ。
たしかに体の異常の多くは、何も治療しなくても自然に治るものである。抜けた歯と頭髪は別にしても、それが自然治癒力というものなのだ。またどれだけ医学が進歩して、最先端の医療を施せたとしても、最後はこの自然治癒力がなければ病気が治ることはない。
たとえば骨折などのケガをしたときも、外科的な治療だけでは治らない。ちゃんと体内の結合組織が働いて初めて、元通りに復元されるのである。細菌などに感染した場合も、抗生物質を投与しただけで治るものではない。これまた体内の免疫機構がしっかりと機能してくれなければ治らない。病気でなくとも、体温や血圧、呼吸に対して恒常性を維持することで健康を保ってくれているのだ。
だがそんな万能選手の自然治癒力にもウィークポイントがある。実は背骨のズレに対しては、いくら自然治癒力が働いても治せないことがある。もちろんズレ幅の小さいものなら、ある程度の時間がたてば自然に背骨が元の位置に戻る。ところがズレ幅が大きいと、なかなか元には戻らない。ここがモルフォセラピーの出番である。
しかし鎮痛作用まで引き出されるようなひどいズレ方で、左の起立筋がグッと盛り上がるほど「アシンメトリ現象」が極まってくると、モルフォセラピーでも太刀打ちできなくなってくる。もう自然治癒力にも期待できない。
そのため、それが腰痛だろうががんだろうが、根本治療はできない。治療をしても一時しのぎにしかならないから、いくらでも再発を繰り返す。この自然治癒力の限界点は、医学的治療の限界点でもある。
ところが病院での治療と、モルフォセラピーとでは大きなちがいがある。病院での投薬や手術のせいで、自然治癒力そのものがダメージを受けることも多い。すると病気が治らないばかりか、余計な症状まで引き起こす危険性もある。一方、モルフォセラピーなら、少なくとも自然治癒力を阻害することはない。この点は非常に重要だ。
では自然治癒力を阻害している根本原因はどこにあるのだろうか。私は最近、食事に含まれる糖質に注目している。糖質は砂糖などだけでなく、われわれの主食と呼ばれるごはんやパン、麺類に始まり、イモ類やくだものにまで大量に含まれている。その糖質の過剰な摂取が、思わぬところまで影響していることが科学的に証明されるようになった。
糖質の過剰摂取で、最初に思い浮かぶのが糖尿病だろう。糖尿病はごくありふれた病気だが、ありふれているにもかかわらず、病院の治療で完治しないこともよく知られている。糖尿病の専門医ですら、「おかげさまで糖尿が完治しました、といって退院していった患者はただの一人もいない」と嘆いていた。
糖尿病は、糖質の過剰摂取によってインスリンの不足や作用低下が起きて、高血糖の状態が続く。従って糖質の摂取さえ控えれば、糖尿病になることもないし、悪化することもない。いたって単純なしくみなのである。
以前、浅草にあるお寺の、美食家で有名な住職から「モルフォセラピーで糖尿が治らないか」と相談されたことがあった。そんなことなら、モルフォセラピー云々よりも、まずは原因となっている食生活を改善すべきだろう。
刑務所に入ったら糖尿病が治ったという話もよく聞く。つまり糖尿病が治ったのは、根本原因である糖質の摂取量が減ったから、自然治癒力が発揮できるようになっただけなのだ。
そういえば私は、若いころから金属アレルギーだった。金属アレルギーは、金属への接触が原因である。しかし糖質制限食に切り替えたら、あれだけしつこかった20年来の金属アレルギーが、半年もしないうちに消えてしまった。すると金属アレルギーの根本原因は金属そのものではなく、糖質の過剰摂取による炎症反応の一つだった可能性が高い。
そうはいっても、人体の自然治癒力を阻害する要因は糖質だけではない。他にも何らかの有害物質が関係しているだろう。しかしわれわれの環境から、それらを全て排除することは現実的ではない。
そこでとりあえず、糖質のような明確な阻害要因だけでも、生活から排除してみたらどうだろう。きっと停止していた自然治癒力が働き出してくれるはずだ。そして、そこまで体内環境を整えられれば、モルフォセラピーも本来の力を発揮できる。その結果、医学の限界とされてきた疾患にも、光を当てることができるようになるだろう。(花山水清)
側弯症冤罪事件! それは本当に側弯症の症状なのか?
先ごろ、半世紀以上にわたって争われてきた冤罪事件が、事実上の決着に近づいたことで話題になっていた。冤罪とは、たまたま事件現場に居合わせただけなのに、犯人に仕立て上げられてしまう、いわゆる「無実の罪」である。
日本の司法では、一度刑が確定してしまうとなかなか再審には至らない。別に司法の世界でなくても、ちょっとした誤解が解けなくて苦労することはよくある。実は病院で診断される病気のなかにも、こういった冤罪事件に似たようなことが多いのだ。
以前、70代の女性Kさんから、側弯症についての相談を受けた。彼女は背中の一部と足くるぶしに痛みが出て、整形外科を受診していた。そして検査の結果、側弯症だと診断され、今出ている痛みも、側弯症の症状だと説明された。そのうえ、すぐ側弯の手術をしなければ、この先、歩けなくなるといわれたのだという。
いきなり手術だといわれたら、だれでも不安になるだろう。医者から「歩けなくなる」とまで断言されれば、手術を断るわけにもいかない。しかし手術しなければ、本当に歩けなくなるのか。手術以外に方法はないのか。疑問がわいてくるのも当然だ。
そこで私に相談に来られたのだが、そういう疑問があれば、直接医者に聞くべきであることはいうまでもない。ところが診察室では、患者からの質問を受け付けるような雰囲気ではなかった。これまたよくあることだろう。
そもそも側弯症は、思春期のころに発症することが多い疾患である。それが彼女のように70代にもなってから、急に側弯症になるとは考えにくい。しかもその年になるまで、何の症状もなくふつうに暮らしてきたのに、それが急に悪化して歩けなくなったりするものだろうか。
もちろん側弯そのものは手技で治せるものではないが、とりあえず彼女の背中を見せてもらうと、それほど極端な側弯ではなかった。むしろもっと弯曲がすごい人ならいくらでもいる。しかし弯曲が軽微だからといって、医者でもない私が「手術しなくてよい」ともいえない。
一般の人には、まっすぐであるべき背骨の描くラインが、大きく弯曲している「側弯」に対して、一つ一つの椎骨が正しい位置からズレる「背骨のズレ」とのちがいはわかりにくいかもしれない。だが側弯症の場合は、椎骨そのものが変形して、体の中心軸が大きく弯曲しているのである。また一度骨が変形してしまうと、整形外科でも治すことはできない。したがって整形外科では骨の変形を治すのではなく、弯曲した背骨の中心軸を、手術によってまっすぐに近い形に矯正するのである。
そこで問題となるのは、背骨の弯曲を手術で矯正したら、Kさんの背中やくるぶしの痛みも一緒に消えるのか、ということだ。彼女はこの点だけでも、その医師に聞いてみるべきだった。もし症状が消えることが確約できないのであれば、Kさんがその手術の是非を判断する手がかりになるはずだ。
ただしモルフォセラピー協会の会員なら、ここまでの話を聞いただけで、彼女の症状は第12胸椎と第1腰椎あたりのズレが原因ではないかと察しがつくだろう。実際、彼女の背骨は大きくズレていた。そのズレた椎骨を、手技によって正しい位置に戻しただけで、その場で明らかに症状が軽減したのである。
こうなると、彼女の痛みは側弯症によるものではなく、背骨のズレによる症状だったことがわかる。やはりこれは、側弯症に対する冤罪事件だったのだ。
似たような冤罪は、モルフォセラピー協会の会員なら、度々見聞きしているだろう。つい最近も、協会に側弯症の少女の症例報告があった。この女の子は病院で側弯症だと診断されていたが、息を吸うだけで背部の痛みが増し、ジャンプすると子宮のあたりにも痛みが走っていたのである。
ところがモルフォセラピーによる背骨のズレの矯正で、呼吸の際の痛みが楽になり、他の部分の痛みも解消した。おまけに便通まで良くなったという。それならば、症状の原因は単なる背骨のズレだったのだから、側弯症とは全く関係がなかったことになる。こういった症例を数多く目にしていると、側弯症であることが、人体に何らかの不都合を生じるものなのかすら疑わしくなってくる。
たとえば2008年にオリンピックの陸上競技で、金メダルを獲ったウサイン・ボルト選手も、側弯症であることは有名だ。彼は手術など受けないまま、努力によって飛び抜けた成績を残したのである。もし彼が手術を受けたとしても、必ずしも良い結果になったかどうかはわからない。まして特別な競技者でもない一般の人ならどうだろう。よほど極端な変形でもない限り、側弯であることが日常の運動機能に、重大な影響を与えるとは考えられないのである。
側弯症は古代から存在していたようだが、1970年ごろまでは一般の話題になることはなかった。ところが1980年代の終わりあたりから、徐々に側弯症が話題になることが増えた。同じころ、腰痛などの体性痛が大人だけでなく子供にも増え始めていた。これらの症状の多くは、背骨のズレによるものだったはずだ。
しかし当時も今も、医師たちは「背骨がズレたせいで症状が出る」とは考えない。そこで、その場に居合わせただけの側弯を、都合よく犯人に仕立て上げたのではないか。
また、1970年代に公害問題が叫ばれていたころ、連日のように背骨の曲がった魚が発見され、公害のせいだと報道されていた。しかし後から検証してみたら、魚の背骨が曲がっていたのは、出荷の積み込みの際に押されて変形したためだった。決して重金属などの公害の影響ではなかったのだ。マスコミが頻繁に話題にしていたから、急激に増えたように見えただけだったのである。
では実際のところ、側弯症の症状だといわれるもののなかに、どれほど背骨のズレによる症状が含まれているだろうか。症状のほとんどが背骨のズレによるものだとわかれば、側弯症が疾患として成り立たなくなる可能性すらある。それでも曲がっていることが問題だというのであれば、ストレートヘアなら正常で、カーリーヘアなら異常だといっているようなものだと思う。私たちは側弯症の冤罪が晴れるその日まで、さらに検証を重ねていくべきなのだろう。(花山水清)
統計では見えてこないモルフォセラピーの底力
黒澤明監督の映画「生きる」が、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの脚本によって、イギリスでリメイクされたようだ。私は学生のころ、池袋の文芸坐で黒澤の「生きる」を観た記憶がある。たしか3本立てが学割で100円だったと思う。
「生きる」は、胃がんで余命半年と宣告された男が、残りの人生をいかに生き抜いたかを描いた名作だ。この作品の発表当時、がんは不治の病だと考えられていたため、がんの告知は死刑宣告、すなわち死がごく身近に迫っていることを示唆していたのである。
しかし私がこの映画を観た1970年代あたりから、がんの治療は大きく変わっていった。がんの患部を広範囲に切除する拡大手術に始まり、激しい副作用を伴う抗がん剤の投与、放射線照射といった、勝ち目のない凄惨な戦いの場となったのである。その結果、単なる死病だったがんは、激痛を伴いながらのたうち回って死んでいく、業病へと変貌したのである。
ところが今では、「がんはすでに治る病気になった」といわれる。それほどがん治療は進歩したのだと医師たちは声を揃えていうが、果たして本当だろうか。
2023年3月、NHKで「がん患者の10年生存率が低下した」と報道されていた。生存率が低下した理由として、国立がん研究センターは「治療成績が悪くなったわけではなく、生存率の算出方法を国際的な新たな方法に変更したためだ」と釈明していた。
新たな方法とはよくいったものだ。この説明に隠された意図が、一般の視聴者に理解できただろうか。要するにこれは、「これまでは国内だけに通用する特殊な基準を使って、がんの治療成績を粉飾していました」という意味なのだ。
今に始まったことでも、医学に限った話でもないが、統計というのは算出の仕方によって、どのようにでも印象を操作できる。それにしても日本のがん治療の統計は、操作し過ぎの感がある。
たとえば日本独自の過剰診断システムによって、毎年おびただしい数の前立腺がんや甲状腺がん、乳がんが発見されている。ところがこれらのがんは、もともと10年生存率が非常に高いがんなのである。そのようながんの発見数が増えれば、おのずとがん全体の10年生存率は押し上げられることになる。
また誤診によっても、がんの生存率は大きく変化する。がんの誤診とは、がんではないものをがんだと診断するのだから、がんで死亡しないのは当たり前なのだ。この特殊な事情を考慮したうえで、がんの正確な生存率を知りたければ、転移が見られない初期のがんの患者を除いた統計が必要となる。そうすれば誤診による統計のゆがみが排除できる。
ただし、がんの統計で重要なのは10年生存率ではない。もっとも重視されるべきは、がんの死亡者数なのである。この数の変化によってのみ、がんの治療効果の遷移が明確になるのだ。
だが統計に見られるがんの死亡者数にも、問題が潜んでいることがわかってきた。実は抗がん剤治療によって、患者はしばしば間質性肺炎に陥るが、そのまま死亡した場合、死因はがんではなく肺炎だったことにされてしまう。すると長年がんの治療を受けていたにもかかわらず、がんによる死亡者には含まれないのである。
さらに気になるのは、新型コロナウイルスの流行以前から、統計上は肺炎による死者が増えていた点だ。肺炎が増えた理由は明らかにされていない。しかしがんによる死亡者が一向に減らないので、一部を肺炎の死亡者に計上することで、がんの治療成績をごまかしていたのではないか。
そう考えていくと、今回発表された「10年生存率53%」という数字も怪しく見えてくる。以前よりも数値が下がったとはいえ、この数字ですら鵜呑みにはできない。そもそもがんの最大の栄養源であるブドウ糖を制限せずして、がんが治る病気になったなどとは到底思えないのだ。
がんに限らず、日本の医療では統計数字と実態とが一致しないことが多いのではないか。
腰痛は今やありふれた疾患だが、「生きる」のころはがん同様、今ほど一般的ではなかった。それがこの半世紀あまりで急増しているのだ。にもかかわらず、医学の世界ではこの変化に対して全く危機感がない。
確かに、腰痛ではがんのように死ぬわけではないから、医師から軽視されるのも仕方がないのかもしれない。その原因の9割が精神的ストレスだと考えられている点も、腰痛が問題視されにくい一因だろう。精神的ストレスが原因なら治らなくて当たり前。治癒率の統計をとる必要すらないと考えているのかもしれない。
ところが実際には、腰痛で病院を受診して、精神的ストレスが原因だと診断された人はあまり見かけない。若ければ椎間板ヘルニアで、高齢者なら脊柱管狭窄症と診断されることが多いようだ。それもそのはずで、整形外科を受診した患者の9割に対して、原因は精神的ストレスだ、などと診断していたのでは、病院経営が成り立たなくなってしまうのである。
もちろん、大多数の腰痛は背骨のズレが原因なのだから、この認識がなければ、病院での治療成績が芳しくないのも当然だろう。
それでは、その背骨のズレに直接アプローチするモルフォセラピーなら、腰痛治癒率はどれほどになるだろう。以前モルフォセラピー医学研究所で聞いたところ、7割ぐらいではないかという話だった。これは統計ではなく、あくまでも施術者の実感としての数値である。しかし実感による数値は、統計ほどごまかしがきかない。治ってもいないのに、治ったと思い込める人などそうはいないからだ。
多分、モルフォセラピーの施術者なら、似たような感想を持っている人は多いだろう。しかも7割というのは矯正の場での数字であり、翌日や数日後に解消する例も少なくない。ある整形外科医の著書では、半年後の患者の感想まで治療成績に上乗せしていたが、民間療法の世界では、そんなノンビリしたことではやっていけない。
またモルフォセラピーの治癒率7割は、単なる腰痛だけが施術の対象ではない。腰痛といっしょにひざや股関節などの下肢の症状までカバーしている。そこには便秘、頻尿、生理痛などのような、消化器、泌尿器、婦人科の諸症状の解消まで付随している。
こういったモルフォセラピーによる矯正の効果は、統計もないのでなかなか実態が見えてこない。患者本人が「治った」と言い、施術者にも「治せた」という実感があっても、医師でなければ「治した」とはいえない。そのため、治療成績を数字ではアピールできないのだ。ここに大きなジレンマがある。
しかし今、日本モルフォセラピー協会の指導陣によって、多くの症例が集められている。その集計によって、将来的にはモルフォセラピーの治療効果を、統計として客観視できるようにしたいと考えている。できれば協会会員の方々にも、各自で矯正の結果を記録に残していただければありがたい。それがいずれは膨大な資料となって、確たる統計として世界に示せる日も来るだろう。何とも楽しみなことである。(花山水清)
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背骨がズレると胃下垂も起きる!?
その昔、長いつきあいの友だちと、健康談義で盛り上がっていたことがある。ふと思いついたように彼女のクチから、「アタシって胃下垂かしら」という声がもれた。
意表をつく問いに、思わず私は「胃下垂というのはたしか、やせ型で虚弱なタイプの女性に多いと聞いていたが、ハテ・・・胃下垂?」と聞き返しつつ、彼女の腹まわりにチラリと目をやった。すると彼女は、「あ、ワリ~ワリ~~、胃下垂じゃなくて胃拡張だ。い・か・く・ちょーだよ。いや~最近何を食べてもおいしくって、つい食べすぎちゃってサ~」と即座に訂正したのだった。
そういえば近ごろは、胃下垂という言葉をとんと耳にしなくなっている。私の親の世代までは、女性にとって胃の不調といえば、胃がんや胃潰瘍よりも胃下垂が一般的だった。下がった胃を持ち上げるために腹に巻く、胃下垂ベルトなるものまで売られていたのである。
胃下垂そのものは、単に通常よりも胃の位置が下がっているだけだ。それが重大疾患につながって、命取りになることもない。かといって、昔も今もその原因ははっきりとしているわけではない。
ヒトは胃だけでなく、全ての臓器が下垂する構造になっている。重力の法則に従って、だれでも加齢とともに、臓器だけでなく体中の組織が垂れ下がってくる。ただし、若くして臓器が下がってしまうことが問題なのだ。
やせて虚弱な女性が胃下垂になるのは、ある意味やむを得ないだろう。胃下垂による消化不良で、ますます虚弱になることもある。しかしこういった悪循環も、中年期を迎えるころには、自然に解消されていくのが救いともいえる。
先日、そんな虚弱体質の30代女性のKさんから相談を受けた。彼女は何か月にもわたって、胃の部分に不快感が続いていた。病院でも何度か調べてもらったが、特別な異常はなかったという。
このKさんのように、胃の不調で検査を受けても、異常が見つからない人は意外に多い。私の経験では、このパターンの人は胃ではなく、十二指腸に問題がある例が少なくない。だが病院では、患者から胃の調子が悪いと聞けば、胃だけを調べてすませてしまうようだ。
では、胃の部分に感じる不調の原因は、胃そのものだろうか、十二指腸なのだろうか。これは症状が出るのが食前か食後かによって、ある程度は判断できる。主に食前の空腹時に症状が出るようなら十二指腸で、食後なら胃の問題だと考えられる。
もちろん胃と十二指腸のあたりを、さわってみることでもわかる。そこに問題があれば、指に当たる感触としても異常が感じられるからだ。
さて先述のKさんも、病院で胃を調べて何もなかったのだから、不調の原因は多分、十二指腸だろうと私は思った。ところが本人の話では、症状が出るのは食後なのだという。そこで腹部をさわってみると、胃にも十二指腸にも炎症らしきものが見当たらない。
唯一の問題は、本来胃があるべき位置に胃がなかった点である。立ち上がった状態では、胃がおへその下まで落ちてしまっている。胃だけではなく、腸なども下腹部まで下がっていて、それはもう見事なまでの胃下垂なのだった。
実は彼女は、半年ほど前に出産を終えていた。胃の不調は、どうやらそのあたりから始まったようである。つまり妊娠中は、おなかの子供が下から胃を持ち上げていてくれたのだ。しかし出産すると、支えを失った胃は自力で持ち上げなければならない。ところがもともとKさんは虚弱な体質だったため、胃を支え切れなかった。こうして胃下垂になったことが胃の不調の背景にあるようだ。
ところがこれでは問題が解決しない。胃下垂だとわかったところで、医学上は、下がった胃を持ち上げる方法などないのである。ではどうやったら、胃を正常な位置に戻せるだろうか。
そこでまずは、彼女の背骨の状態を調べてみた。すると、第12胸椎が大きくズレていたのである。胃下垂でなくても、胃の不調を訴える人は、この部分がズレていることが多い。第12胸椎がズレると、ちょうど横隔膜の部分でひきつりが起こる。胃という臓器は、構造的には横隔膜にぶら下がっているだけなので、横隔膜の緊張が、そのまま胃の不調の原因にもなるようだ。
次に彼女の胸椎のズレを矯正してみた。すると明らかに胃の位置に変化が現れた。たしかに胃下垂にも、背骨のズレが関与していたのである。頸椎がズレると、手に力が入らないことがあるのと同じように、胸椎のズレによって、胃の周辺部が脱力していたのかもしれない。
また胸椎のズレの影響は、それだけにとどまらない。脱力して臓器が下垂するだけでなく、胸椎のズレによって、臓器や横隔膜にはひねりの力が加わる。その力で横隔膜が緊張すれば、そこに接している胃や肝臓だけでなく、横隔膜の上に乗っている肺の機能にも影響する。そうやって、それぞれが複雑に影響し合うことで、さまざまな形で疾患として現れてくるのだろう。
もちろんこれは仮説である。しかしたかが内臓下垂といえども、その背景に背骨のズレが関与している以上、そこから生じる不利益を見過ごすことはできない。あくまでもわれわれは最悪の状況まで想定したうえで、しっかりとズレの矯正に臨むようにしていきたい。(花山水清)
三叉神経痛・ベル麻痺・突発性難聴・メニエル氏病に共通した原因とは
あるとき何の前触れもなく、顔面に痛みが走ることがある。この痛みの正体は、きっと三叉神経痛だろう。一昔前までは顔面神経痛とも呼ばれていた。私と同年代以上の人なら、この俗称を覚えているかもしれない。顔が痛むのだからイメージとしてはまちがっていないようだが、三叉神経と顔面神経とでは、同じ脳神経(※)であっても全く別の神経なのである。
また呼び名が似ていることから、顔面神経痛と顔面神経麻痺が混同されることもしばしばあった。しかし顔面神経麻痺の主訴は痛みではなく、運動機能の異常なので、これも医学的には別の疾患だ。
顔面神経麻痺では、顔の筋肉が動かない・まぶたが閉じない・よだれが垂れるといった麻痺症状が出る。顔面神経麻痺の原因は脳腫瘍のような重大疾患の場合もあるが、その7割ほどは原因が特定できず、ベル麻痺とも呼ばれている。
ベル麻痺は自然治癒することも多いようだ。だが病院で治療するとなると、ステロイド剤の集中投与となる。けれどもそのすべてが薬で治るわけでもない。治ったとしても、それが薬の効果なのか、自然治癒なのかの見極めすらむずかしいのである。
こうやって三叉神経痛と顔面神経麻痺の両者を見比べてみると、どちらも顔面の異常であるだけでなく、いきなり発症する点も含めて、症状の成り立ちが似ている気がする。
そういえばステロイド剤の集中投与で思い出されるのが、突発性難聴とメニエル氏病である。突発性難聴はその名が示す通り、突発的に耳鳴りや耳閉といった聴覚への異常が出る疾患だ。メニエル氏病ではめまいが主訴となる。
これら突発性難聴とメニエル氏病も、はっきりとした原因はわかっていない。そのうえ突然発症するところまで、上述の三叉神経痛や顔面神経麻痺と非常に似通っているのだ。しかし医学的には、それぞれ全く違った疾患としてくくられている。
ところが前回ここでお伝えした三叉神経痛と同様、これらはみな頭蓋や頸椎1番・2番のズレによって引き起こされているのである。つまり三叉神経痛、顔面神経麻痺(ベル麻痺)、突発性難聴やメニエル氏病は、すべてズレによって引き起こされた一つの疾患群だと考えられるのだ。
ではなぜそういえるのか。答えは簡単だ。いずれの疾患も、頭蓋や頸椎1番・2番にあるズレを矯正すれば、症状が消えてしまうからである。
もちろん上記の症状が、すべてズレのせいだというわけではない。発症してからある程度の時間がたっていると、矯正の効果が全く出ないこともある。発症後すぐに矯正のチャンスがあったとしても、頸椎の矯正は急激な血流変化を起こすので、相当慎重に対処する必要がある。しかもめまいが激しい状態なら、なおさら矯正のリスクも大きくなる。そうなると、たとえズレと症状との因果関係が明白でも、施術者としてはなかなか手出しできないところが悩ましい。
では、三叉神経痛・顔面神経麻痺(ベル麻痺)・突発性難聴・メニエル氏病が同一の疾患なのだとしたら、なぜ痛みや麻痺、めまい、難聴のように全く別の症状が現れるのか。これは頭蓋や頸椎がズレる角度の微妙なちがいによって、その影響が及ぶ神経にちがいが出ることで、症状がちがってくるのだろう。
たとえば腰椎がズレたとき、腰部ではなく鼠径部やひざ、足首などの下肢に症状が出ることがある。同じズレによって、腰痛だけに留まらず、頻尿や尿失禁、便秘、下痢、生理不順といった内臓機能の異常まで現れることも多い。これと同じしくみで、頭蓋や頸椎1番・2番のズレがさまざまなパターンの症状を起こしているのではないか。
それだけではない。各疾患の主訴はちがっても、頭痛、めまい、難聴、吐き気といった症状は共通している点も重要だ。さらにみな一様に「アシンメトリ現象」が極めて悪化しているところも同じなのである。逆に「アシンメトリ現象」がやわらいでくると、それぞれの症状が改善していくことも見逃せないポイントだろう。
そして今回特に注目したいのは、脳神経の異常と「アシンメトリ現象」とは関係が深いという事実である。一例を挙げると、ベル麻痺の患者には、左の胸鎖乳突筋や左の僧帽筋に異常な緊張が見られる。これは「アシンメトリ現象」の代表的な特徴なのである。
一般的には、ベル麻痺は顔面神経だけの問題だと思われている。ところが実際には、胸鎖乳突筋や僧帽筋の支配神経である副神経の異常も大きいようだ。またメニエル氏病でよく見られる吐き気の症状も、交感神経の問題だと考えられているが、その交感神経の機能亢進の元をたどれば、副交感神経である迷走神経の異常に行き着く。この状態が、「アシンメトリ現象」をより一層悪化させてしまっているのである。
私はこれまで、「アシンメトリ現象」における背骨のズレの影響は、末梢神経のうち、知覚神経と運動神経の範囲でしか言及してこなかった。しかし脳神経との関わりが密接であることが次第にわかってきたのだ。これはモルフォセラピーの実践者なら、体験的に気づいていた人もいるだろう。
だが上述の疾患群は、病院での治療では決め手に欠けていた。従って潜在的な患者数は増える一方だったはずだ。もし仮に「アシンメトリ現象」が脳神経にも影響しているのなら、モルフォセラピーによる頭蓋や頸椎のズレの矯正によって、脳神経が関与している疾患に直接アプローチできることになる。今後はこのことをイメージしながら、さらに検証を重ねていきたいと思っている。(花山水清)
(※)脳神経は、12対の末梢神経(嗅神経・視神経・動眼神経・滑車神経・三叉神経・外転神経・顔面神経・内耳神経・舌咽神経・迷走神経・副神経・舌下神経)で構成されている。それらの神経は脳から直接出て、頭部や頸部、体幹へと伸び、視覚や聴覚、味覚などの感覚を担い、顔の筋肉を制御したり、腺を調節したりもする。
三叉神経痛と背骨のズレ
日本モルフォセラピー協会では、毎月の会員フォローアップ練習会のほかに、私も交えて指導陣での研究会も隔月で開催している。研究会で報告される症例には、難病や特殊な疾患も多く含まれており、今後はそれらの症例を資料として記録し、ネット上でも公開していく予定である。
昨年11月の研究会でも、貴重な話を数多く聞くことができた。そのなかに、モルフォセラピー医学研究所の医師から、三叉神経痛に関するたいへん興味深い報告があったので、ここでも紹介しておきたい。
三叉神経痛とは、三叉神経の走行に沿って、顔面に激しい痛みが走る神経痛である。原因としては脳腫瘍や脳動脈瘤などの重大疾患から、顔面の外傷によって誘発されるものまでさまざまだ。しかしその多くははっきりとした理由もなく発症するので、病院では確かな治療法もない。そのため、ほとんどがその場しのぎの薬物療法で処理される。
そういえば私も、若いころに三叉神経痛を体験したことがある。私の場合も何のきっかけもなかった。家でゆっくりしているときに、突然、左の顔面に激痛が走ったのである。あまりの痛みに叫びそうになったが、しばらく耐えているとスッと痛みが消えた。これで治ったのかと安心していると、2~3時間してまた痛みがぶり返すのだ。
当時はそれが何の痛みかもわからなかったが、ずっと連続して痛むわけでもないので病院には行かなかった。例えるなら、虫歯の激痛が左の顔面全体に現れたような感覚だったが、あれが連続した痛みだったら耐えられるものではない。
自慢にもならないが、私は痛みに弱いほうではないと思う。以前、歯科治療のときに、どれだけ痛いものか興味が湧いた私は、高校の同級生だった歯科医のS君に頼んで、麻酔なしで歯を削ってもらったことがある。その際、彼は「こりゃ拷問だな」とつぶやいていた。
だが、あの三叉神経痛のときの痛みはその比ではなかったのである。ところがそれだけの痛みであっても、いつしか自然に消えてしまった。今思えば、あれは頸椎がしっかりとズレていたのだろう。
大きな理由もなくいきなり三叉神経痛が現れたとき、頭蓋や第一頸椎、第二頸椎が大きくズレていることが多い。それがどんなに激しい痛みであっても、原因がズレによるものなら、そのズレさえ矯正すれば、その場で痛みが引いていく。
仮に三叉神経痛だと病院で診断されていなくても、
・虫歯でもないのに歯や歯茎が痛い
・副鼻腔炎と似た症状が出る
・片頭痛が治らない
・耳が痛い
こういった症状の多くは、頸椎などのズレによる三叉神経痛の症状だと考えてよいだろう。
ところが今回モルセラ医研から報告があった三叉神経痛の場合は、様相が異なっていた。患者は少し前に受けた脳腫瘍の手術の後に、三叉神経痛を発症したのだという。つまり手術の後遺症なのである。
手術の後遺症となれば、手術による三叉神経の損傷が原因だろう。そうなると手術した病院としても治しようがない。かといって手術による外科的な損傷に対して、頸椎のズレを矯正しても傷が治るはずもない。まして患者は脳腫瘍の手術後であるから、何が起きてもおかしくはない。
相談を受けたモルセラ医研の医師も、リスクを考慮して、当初は施術の依頼を断るつもりだった。しかしあまりに激しい痛みが続いていた患者から、「診るだけでも」と懇願されて仕方なくお受けしたらしい。
面談の日、おそるおそるその方の頸椎を調べてみると、明らかにズレていた。
そこで軽く矯正を試みたところ、たちまち顔面から痛みが引いてしまったのである。この予想外の結果には、患者だけでなく医師も喜んだ。要するに、病院で手術の後遺症だと診断されていた痛みは、頸椎のズレによる症状だったのだ。
実はこういう例はモルフォセラピーの周辺では珍しくない。たとえば乳がんの手術の後に、肋間に痛みが出ることがある。患者としては「すわ、がんの再発か!」と不安に襲われる。だがこの痛みも単なる胸椎のズレによる症状なので、ズレを矯正すれば痛みが消えてしまうことが多い。
また胆石の手術後に、取ってしまったはずの胆のう周辺に、しばしば胆石のときと同じ痛みが再現することがある。これまた胸椎のズレによる症状なのだが、病院では精神的なものだから気にするな、と説得される。手術による後遺症だと認められるのはまだましで、多くの場合は大して問題にもされないのである。
ところがここで問題視されるべきは、その痛みが手術の後遺症かどうかではない。痛みの原因となっている背骨のズレは、手術によって誘発されたものなのか。それとも手術する前から背骨がズレていたのか。それが問題なのだ。
手術によってズレたのであれば、背骨は手術の刺激でズレやすくなる性質があると考えられる。だがその一方で、手術には関係なくもともと背骨がズレていたのなら、その背骨のズレがそもそもの疾患の原因になっていた可能性が出てくる。
すると今回の症例の場合、脳腫瘍の手術後の三叉神経痛だけでなく、脳腫瘍そのものの発症にも、ズレが関与していたのではないかと考えられるのだ。そのしくみは、上述の乳がんや胆石の例でも同様である。
もちろんこれらは仮説の段階だが、今後モルフォセラピーの症例が蓄積されていくことで、おのずと因果関係が証明されるだろう。そうやって各疾患に対する施術マニュアルが確立されれば、さらに多くの人にモルフォセラピーが還元できる。そんな将来に私は期待しているのである。(花山水清)
食物繊維をたくさん摂ると便秘になる!?
ある中年女性が腰痛になった。そこで、知人に紹介された「モルフォセラピー」を受けてみたのである。すると腰椎と骨盤のズレを矯正してもらっただけで、たちどころに痛みが引いた。ここまではごくありふれた話だろう。ところが矯正で腰の痛みが消えたと思ったら、そのあと久々の快便だったという。この予想外の効果にも彼女はたいそう驚いていた。
実は「モルフォセラピー」では、腰椎や骨盤の矯正のあと、腰痛だけでなく副次的に便秘まで解消される例は珍しくない。背骨のズレは知覚神経だけでなく自律神経にも作用して、交感神経の働きを過剰にする。それが便通にも影響していたのだ。
したがって原因となっている背骨のズレが矯正されれば、自律神経の働きは正常に戻る。つまり交感神経の過剰な働きが抑制され、副交感神経が働き始める。その結果、便秘だった人がいきなり便意を催したのである。
さらに背骨のズレは知覚神経や自律神経に影響するだけでなく、内臓にも直接ひねりの力を加えている。その作用によって、消化器や泌尿器ばかりか婦人科系の臓器にまで異常を引き起こす。だからこそ、腰椎と骨盤を矯正しただけで、便秘や頻尿、生理痛まで改善されてしまうことも多いのだ。
「モルフォセラピー医学研究所」の報告によると、腰椎・骨盤の矯正によって、難病の潰瘍性大腸炎の症状が改善した例もある。潰瘍性大腸炎の症状は、便秘とは逆にしつこい下痢である。しかしその下痢も、背骨のズレによって小腸にひねりの力が加わっていたせいだったと考えれば、この結果にも納得できる。
さて今回は、便秘について別の角度からも考えてみたい。
2、3日便通がない程度の軽い便秘なら、だれにでも経験があるだろう。旅先で食べ物や生活のリズムが変わって便秘になる人も少なくない。咳止めや痛み止め、抗がん剤などの副作用でも便秘になるから、その原因は実にさまざまだ。
医学的には、いわゆる便秘のことを特発性便秘という。この特発性便秘で悩んでいる人の数は相当なものである。老化によって便秘が慢性化する人も多いので、たかが便秘といえどもその患者数は腰痛より多いかもしれない。そのため、メディアで見かける薬や健康食品の広告も、便秘に関するものが圧倒的に多い。
一昔前なら便秘といえばイチジク浣腸と決まっていたものだが、最近はあまり見かけない。どうやらこの2、30年ほどは、便秘解消のトレンドは食物繊維の摂取になっているようだ。
昔とちがって日本人の食性が洋風化し、食物繊維の摂取が減った。そのせいで便秘になり、ひいてはそれががんの原因にもなる。こんな話が常識になっているのである。そして「健康のためには肉よりまず野菜を摂るべし」といわれ続けた結果、食物繊維の摂取はなかば強迫観念化している。
スーパーで行き交う客の買い物かごを見るともなしに見ていると、高齢女性のかごにはステーキ肉が入っていることが多い。それとは対照的に、若い女性のかごにはレタスやブロッコリーといっしょに、必ずといっていいほどヨーグルトが鎮座している。これはヨーグルトに含まれるビフィズス菌で腸に善玉菌を補いつつ、野菜の食物繊維で便通を促す狙いなのだろう。
だが果たしてこの狙いは正しいのか。本当に食物繊維の大量摂取が便秘の解消になるといえるのか。肉食の代表であるアメリカ人が、便秘で悩んでいるなどという話も聞いたことはない。
もう10年も前になるが、消化器学会誌のWJG(World Journal of Gastroenterology)に「食物繊維の摂取を停止または減らすと、便秘とそれに関連する症状が軽減される」という論文が掲載されていたのである。この結論は、私たちが知っている常識とは180度ちがっていた。少々の修正ならわかるが、正反対の結論が出たとなると驚きだ。
それならこれまで私たちが信じこまされてきた説にも、そもそも医学的エビデンス(科学的根拠)はあったのだろうか。実際には、食物繊維を大量に摂取したら、風呂の排水口に髪の毛を大量に流したときのように、腸に詰まって便秘になるのではないか。
確かにわれわれは草食動物ではないから、食物繊維の摂取は本来の人類の食性とはちがっている。食物繊維を摂ることで便通がよくなったという人も、牛乳を飲んでおなかをこわすタイプの人と同じで、単なる体の拒絶反応だったのかもしれない。
モンゴルの遊牧民や北極圏で暮らすイヌイットも、昔は食物繊維をほとんど摂っていなかった。それでも便秘がひどかった様子がないから、上記の論文の結論は私には妥当な気がする。もちろん私は、食物繊維を一切摂るべきではないというつもりもない。しかし盲目的に野菜だけを大量に摂るような食性は、疑問視されてしかるべきだろう。
また医学の常識は、ある日突然真逆に変わるのが常ともいえる。食物繊維の話にしても、再度結論が変わってしまうことも想定できる。だが背骨のズレが便秘に影響していること、この事実だけは今後も覆ることはない。それだけは断言できるのである。(花山水清)
近藤誠氏の訃報に寄せて
人の一生とは、時間というベルトコンベアに乗せられた荷物のようなものかもしれない。だれも時の流れに逆らうことはできない。
以前から『モナ・リザの左目』の出版を楽しみにしてくれていた恩師たちが、この1年ほどの間に立て続けに旅立った。それが必然だったのだとしても出版の遅れが悔やまれる。しかし当の本人が生きているうちに、原稿が日の目を見ただけヨシとすべきなのかもしれない。
先月、プロレス界のスーパー・スターだったアントニオ猪木さんが亡くなった。時期を同じくして、噺家の円楽さんも亡くなって話題をさらっていた。だが彼らのように話題になることもなく、いつのまにかあの近藤誠氏が亡くなっていたのを今ごろ知った。
近藤誠といえば「がんもどき理論」で一世を風靡した、元慶應義塾大学の放射線科の医師である。一世を風靡したといっても、彼の理論は医学界からは総攻撃を浴び続け、学内でも助教授にすらなれず、講師のままで孤立させられていたようだ。
「がんもどき理論」とは、がんには本物のがんと、がんによく似た「がんもどき」とが存在するという説である。両者はDNAが同じなので見分けがつかない。本物のがんであれば治療しても治らない。「がんもどき」なら、がんではないからそれで死ぬことはない。しかし固形がんでは、手術や化学療法、放射線などの標準治療には、延命効果がないどころか縮命効果しかない。著書でこのように断言して、センセーションを巻き起こした。
さらに彼はがん検診に対しても、世界中の最新論文を集めてその効果を否定してみせた。これは、がんは早期発見・早期治療で治る病気になったとする日本の医学界と真っ向から対立していた。そして当然のことながら、彼の主張に全面的に賛同する医師はいなかった。結局彼はほぼ孤立無援のまま、自説を貫き通して生涯を終えたのである。
今の時代、攻撃に臆することなく、自分が正しいと信じた道だけを突き進むような医師は皆無に等しいだろう。だれもが保身のために日和見的な立場を取って、それを恥じることもない。そこには患者の利益のことなど全く念頭にはない。そのため、彼を批判するのは批評家然とした医師ばかりだった。批評家とは、安全な立場に身をおいてひたすら他者の批判に終始し、自分では前向きなことは何もしない人間のことである。
しかし私は、彼の「がんもどき理論」はある程度正しいと思っている。だが実際には、がんと「がんもどき」ではなく、がんと「単なる誤診」ではないのか。つまり、がん(悪性腫瘍)だと診断されたなかに、良性の腫瘍が多く混じっているのではないかと考えている。
もしも良性の腫瘍が悪性だと診断されれば、患者は不必要ながんの治療を受けることになってしまう。すると多大な不利益が生じる。場合によっては治療死すら想定されるのだ。
残念ながら現在のがん検査では、がんかそうでないかを正確に診断できるわけではない。唯一、遠隔転移が確認されて初めて、原発巣ががんだったと診断できる。ところが転移するのを待っていたのでは、手遅れになって助からない。近藤誠の「がんもどき理論」も、がんと「がんもどき」を区別できないところがウィーク・ポイントとなっていた。
しかし私は「アシンメトリ現象」の有無が、がんかどうかの判断基準になると考えている。病院でがんだと診断された人のなかには、「アシンメトリ現象」が見当たらないことがあるが、そういう人はその後も転移がなく、がん死も起こらないようなのだ。
ただし「アシンメトリ現象」の有無の判断は単純ではない。一見すると正常に見える体でも、実際には重度の「アシンメトリ現象」が潜んでいることがある。また逆に、ひどい「アシンメトリ現象」だなと思っても、一時的な症状の場合もある。がんと「アシンメトリ現象」の関係を正確に判断するのは、なかなか困難な作業なのだ。しかしがんかどうかを正確に判定できる試薬でも開発されない限り、現状では「アシンメトリ現象」の有無が最も有効な指標だといえる。
この「がんもどき理論」とは別に、彼の功績のうち、だれにも否定できないのが乳がんの部分切除手術の推進である。今でこそ乳がん治療は部分切除が一般的だが、少し前までは胸筋ごと乳腺をすべて摘出し、リンパ節の郭清まで行う拡大手術が標準治療だった。この拡大手術に問題があることは海外の主だった国では常識となったあとも、日本では相変わらずそのままだったのである。薬害エイズのときと同様、日本の医学界は旧弊に固執するお役所的なシステムなのだろうか。
そんななか近藤氏は実姉の乳がん発症を機に、こういった国内の状況に異を唱えてみせた。ところが専門医たちからは総攻撃されてしまったのである。だが彼はひるまず抵抗を続けた。その勇気ある行動のおかげで、乳房を失わずにすんだ日本女性がどれだけいたことか。
日本の医師たちの間には、「命が助かるなら乳房がなくなるぐらいかまわないだろう」という考え方が横行していた。しかし女性にとって乳房を失うことは、がんであることとはちがった苦しみとなる。当時の医師たちには、彼女たちのクオリティー・オブ・ライフを考慮するメンタリティなどなかったのだ。
彼の「がんもどき理論」については、いずれ時代が判断するだろう。だが乳がん治療に関しての彼の功績は大いに称賛されるべきである。そして当時、拡大手術に固執していた医師たちにも、改めて猛省してもらいたい。
私も「アシンメトリ現象」の発表以来、「医師ではない者がこんなことを書いていいのか」といった口撃や、発言への妨害は受けてきた。しかし理論そのものに対する批判となると、せいぜい重箱の隅をつつく程度で、医学界から面と向かって反論されたことはない。
だが考え方によっては、批判も応援の一種だと捉えることができよう。せっかく発言しても、社会から何の反応もないことほど寂しいものはない。その点、近藤氏は幸せだったのかもしれない。そう思えばこそ、私が四半世紀も続けてきた「アシンメトリ現象」研究の成果をつづった『モナ・リザの左目』が、世の批判にさらされる覚悟は既にできているつもりである。(花山 水清)
ペットの医療にもモルフォセラピーを
あなたはペットを飼ったことがあるだろうか。私が子供のころのわが家では、動物好きだった父が連れ帰ったイヌ・ネコ・ニワトリにヒツジまでいて、母は彼らの世話に明け暮れていた。
ペットの好みは、大きくはイヌ派とネコ派に分かれるものらしい。どちらかといえば私はネコ派だが、正確にはイタチ派である。イタチ科のフェレットは、イヌとネコの良いところをあわせ持ったような性格で、たいそうかわいい動物なのだ。しかしイヌ・ネコよりも寿命が短くて、だいたい5年程度で死んでしまう。
昔はイヌやネコもその程度の寿命だった。だが専用のペットフードを与えることで寿命が伸び、今では20年ぐらい生きるものもいる。また最近はニーズが増えたせいか、ごく小さな町にも動物病院があり、ヒトと同じように手厚い医療を受けられるようにもなった。私が子供の時分には、ペットフードだの動物病院だのというのはアメリカのホームドラマのなかだけで、全く別世界だった。
そもそもイヌは番犬、ネコはネズミを捕るものであって、彼らは家畜同様の使役動物だった。ところが今ではペットというよりも、家族の一員として地位が向上した。その序列も、「士農工商・イヌ・ネコ・お父さん」といわれるまでになった。今回はそんなイヌ・ネコの話である。
先日、モルフォセラピーの実践者で、たいへんな愛犬家の女性がある動物病院の話を教えてくれた。東京都内で動物病院を開業しているSさんは、モルフォセラピーの講習を修了した獣医師だ。彼はそのモルセラの技術を、来院患者である動物たちに応用している。その結果、みるみるうちに動物に使う薬の量が減り、手術の回数も少なくなった。あまりにも買い入れる薬の量が減ったので、いつも仕入れている薬屋さんからは、仕入先を別の業者に切り替えたのかと訊かれたほどだという。
確かモルフォセラピーの名称が形態矯正だったころにも、この技術でイヌの腰痛を治して評判になっていた人がいた。ネットで調べてみると、他にもモルフォセラピーでペットを治療している人がいるようだ。しかし専門の獣医師が、ここまで本格的にモルセラを取り入れて動物を治療するのは、初めてのことではないだろうか。
イヌ・ネコといえども、彼らの体の構造に人間とさほどのちがいはない。したがって、罹患する病気の種類も人間とかなり似通っている。まして人間同様の長寿になれば、がんを含めていわゆる成人病になるリスクも増えてくる。
また条件さえそろえば、イヌやネコの体にも「アシンメトリ現象」ははっきりと現れる。特に「アシンメトリ現象」の疾患の代表格ともいえる腰痛は、イヌやウマではごく一般的な疾患なのである。
近ごろは、人間が腰痛で病院に行けば、その9割は精神的ストレスが原因だと診断されてしまう。それでは動物の場合も、腰痛ならカウンセリングでも受けたほうがよいというのだろうか。
だが実際には、動物の腰痛も背骨のズレを矯正すれば症状が消えることが多い。先述の愛犬家の女性も、自分のイヌの背骨のズレを見つけたら、速やかに定位置に戻すようにしている。相手が動物であっても矯正方法には何のちがいもない。唯一のちがいといえば、動物にはプラセボ効果が期待できない点である。
プラセボ効果とは、薬理効果のない偽薬を与えても、一定の割合で治療効果が認められることだ。人によっては、白衣を来たお医者さんに診察してもらっただけで症状が消えることもある。ところが動物には、そのような思い込みは全くない。人間のように、治ってもいないのに治った気になることなどない。
そういえば昔、ある国立大学の有名なサイエンス系の教授が、奥さんに連れられて来院したことがあった。彼は腕にひどい痛みとしびれを抱えていたが、T大病院のえらい先生方に診てもらっても全く治らなかった。そこで奥さんにいわれて、渋々私のところにやって来たのである。
天下のT大病院で治らないものが、病院でもないところで治るはずがない。彼でなくても、そう思う人は多いだろう。だがT大病院の見立てがどうあろうと、彼の腕の症状は単なる頸椎のズレが原因だった。だからそのズレを何回か矯正しただけで、すっかり症状も収まった。
ところが当の本人は、喜ぶどころか納得がいかないので機嫌を悪くした。T大病院の権威が治せないのはまだ理解できても、権威も何もないところで治ってしまうことなど受け入れがたいのだ。科学者としてのプライドが傷ついたのか、私に向かって不快感をあらわにして見せた。その態度を見て、奥さんからこっぴどく叱られていた彼の姿を思い出す。
全くもって人間とは厄介な生き物である。その点、動物はプライドが邪魔することなどない。感情を抜きにして、治ったかどうかだけが問題だ。ある意味では人間よりも科学的に生きられるから楽だろう。
とはいえ、ペットのケアも人間並みにどんどん高度になっている。その分、治療費もかさんでくる。ペットには健康保険が適用されないので、全額実費である分、飼い主にとっては痛手である。その点、モルセラなら治療に大金を払うようなことはないはずだ。薬も外科手術もないのだから、ペットにも負担がない。練習すれば、飼い主が直接自分の手でケアできるようにもなる。それなら時間的にも負担が少ない。これはいいこと尽くめだろう。
われわれは世界中の家庭で、家族の手でモルフォセラピーを実践してもらうのが目標だが、今後はその対象は人間だけでなく、ペットにも広げることを目標に加えてもいいかもしれない。そう考えただけで、私は何だか楽しくなってくるのである。(花山 水清)
モルフォセラピーなら女性の力を生かせる
「今こそ女性の手で女性の体を守りきろう!」
これはどこかの政党のスローガンではない。モルフォセラピーの話である。
先日、もうじき第二子が生まれる予定の女性から電話が来た。彼女は、そろそろ陣痛らしき痛みが来始めているのだという。ところがモルフォセラピーの実践者である夫が、痛みが出るたびに腰椎と骨盤のズレを矯正すると、たちまちその痛みが消えてしまうのだ。
痛みが出る。夫に矯正してもらう。痛みが消える。そんなことを何度か繰り返しているうちに、「本当に生まれてくるのかしら」と不安になった。そこで私のところに、「モルフォセラピーをやってもらっても大丈夫か」と確認の電話をよこしたのである。
不安にはいくつかの段階がある。最初はわずかな兆し程度だったものが、頭のなかで徐々に増幅していく。その不安の塊が、恐怖の一歩手前まできてマックスになったとき、だれかに相談したくなるようだ。
昔の医者は、患者が熱を出したといって往診を頼みにきても、決してすぐには飛んで行かなかった。熱というのは、ある程度まで上がれば自然に下がってくるものだ。医者はそれを知っている。患者があわてて往診を頼みにくるのは、熱がピークのときであることも心得ている。だから熱が下がり始めるころを見計らって、おもむろに患家に出かけていく。そのタイミングで適当にビタミン剤でも注射すれば、熱が下がって回復に向かう。その結果、患者の周囲からは名医だと持ち上げられることになるのだ。
さて、不安のピークで私に電話をかけてきた彼女も、案の定その日のうちにちゃんと子供が生まれた。しかもかなりの安産だったそうだ。もちろん、モルフォセラピーでは妊娠中の女性や乳幼児への施術は推奨していないので、あくまでも家族の手による施術が前提である。
しかしモルフォセラピーのおかげで、陣痛がやわらいで安産だった話は他でもよく聞いている。また矯正によって背骨のズレがない状態にしておくと、産後の体調不良に悩まされることもなく、授乳のトラブルも少ないようだ。
旧約聖書では、陣痛の苦しみは神から女性に課せられた原罪だとされている。するとモルフォセラピーの実践は、神の意に反していることになるのだろうか。昔ならモルフォセラピーの施術者は、火あぶりの刑に処せられてしまうところである。
それはさておき、今回の女性は結婚前はかなりひどい月経不順だった。そのため妊娠などとても不可能だと婦人科で診断されていたのである。ところがモルフォセラピーを受けてから、生理は順調になった。そして長年の悩みから解放されただけでなく、順調に二人も子供が生まれたのだから、うれしい話である。
彼女だけでなく、初潮から閉経後の更年期まで、何十年にもわたって生理にまつわるさまざまな不調を抱えて暮らしている女性は多い。われわれ男性にはわからない苦しみだが、女性の苦悩は想像の10倍以上だと思っておけばよい。しかしモルフォセラピーによる背骨の矯正によって、それらが解消していく点は重要だ。要するにこれは、背骨のズレがホルモン機能に大きく関与していることの証なのである。
たとえば産後に母乳の出が悪くて、乳腺炎にかかるお母さんがいる。通常なら、そういうときは助産婦(助産師)さんによるマッサージで治してもらうことになる。ところがなかにはあまりに症状が頑固で、マッサージでは全く歯が立たないことがある。そのような状態の人は、乳腺炎の出ているあたりの胸椎が大きくズレてしまっているのだ。
さらに腰椎や骨盤のズレによってホルモン機能が働きにくくなっており、「アシンメトリ現象」による左右差もひどくなっていることが多い。したがってそれらのズレをことごとく矯正すると、てきめんにマッサージの効果も上がる。
このような矯正も、モルフォセラピーのなかでは特にむずかしいレベルの手技ではない。少し練習すれば、だれでも結果を出せるようになる。特に乳房はホルモン機能が正常になった途端、硬い氷が解けていくように極端な変化を見せる点も、施術者としては興味深いだろう。
しかしどんなにかんたんであっても、施術者が男性の場合は、その対象はだれでもいいというわけにはいかない。男性が女性の胸のあたりに触れることは、誤解を生みやすくてトラブルの原因にもなりかねないからだ。
こんなときこそ女性の出番である。女性が女性に施術すれば、男性ほど問題視されることはない。しかも男性とちがって、女性の場合は単なる知識としてではなく、実感を伴って女性の体の問題に対処できるから、やりがいも大きいだろう。
とはいえ、一般の女性には自分以外の女性の体に触れる機会がない。他の女性の胸に触れた経験などない人が大半だ。そのため、女性の体について何も知らない女性は多い。ところが女性の皮膚や筋肉、骨などの体の特徴は、ホルモンの影響が大きい分、個人差も非常に大きいのである。だから女性といえども、女性の体については改めて勉強する必要があることは知っておきたい。
概して女性の体は男性よりもかなりデリケートにできている。そのような繊細な体に対しては、モルフォセラピーのように力を抑えた手技が最も適しているし、効果も大きい。また他の療法に比べて使う力が極端に小さくてすむので、女性の手でもやりやすい。
これらのことからみても、女性がモルフォセラピーで女性の体の問題に対処するのは適任だろう。そこで今後は、女性のモルフォセラピー実践者を積極的に育成し、女性の体のオーソリティを増やしていきたい。
あなたのまわりでも、長年婦人科系の疾患で悩んできたが、モルフォセラピーの体験で改善した女性がいるはずだ。そういう人にこそ、モルフォセラピーの習得を勧めてみていただきたい。それが前著『その腰痛とひざ痛、モルフォセラピーなら、おうちで治せる!』にも書いたように、「幸せの連鎖」につながっていくと私は思っている。(花山 水清)
新刊『モナ・リザの左目』発売にあたり
先月末、私の25年にわたる「アシンメトリ現象」探究の集大成として『モナ・リザの左目』が出版された。この本は構想に5年以上を費やし、何度も書き直し続けてついには69稿にまでなった。だがこれだけ完成度を上げたのに、本として出してくれる出版社がなかなか決まらず、足踏み状態が続いていた。
確かに、この20年で書店の数が半減したという話まで耳にするほど、出版業界は不況の真っただ中である。まして今回の本は医学界や美術界のタブーだけでなく、環境問題にまで踏み込んだ内容だ。出版社が二の足を踏むのも理解できないわけではない。私としては渾身の力をこめて仕上げた原稿だが、このまま日の目を見ることなくお蔵入りとなるのか。そんなあきらめとともに、厭世的な思いが朝に夕に私を襲うようになっていた。
ところがある日、私のところに取材に来ていた新聞社の記者の方に、たまたまこの原稿の話をしたら、「出してくれそうな出版社を探してみる」と請け合ってくださったのである。これはありがたい。長いトンネルの向こうに、一筋の光がさしたようだった。そこで即座にその新聞社あてに企画書と原稿を送り、「期待してはいけない」と自分にいい聞かせながらも、楽しみに返事を待っていた。
それからまた数か月が過ぎたころ、その記者さんから「藤原書店の社長に会いに行きましょう」と連絡が来た。藤原書店といえば、現社長の藤原良雄氏が一代で築き上げた、硬派で知られた出版社である。私の手元にあるのも、水俣病を扱った社会派の作品だ。
藤原書店では、たとえ人気作家だろうと、ただ売れているだけでは出版にはならない。原稿を採用する際に、その内容に明確な社会的意義が求められているようだった。それなら「アシンメトリ現象」の意味を伝えれば、理解していただけるかもしれない。もう後がないと感じ始めていた私は、この面談に賭けた。
面談の日、前夜から緊張していた私は、初対面のあいさつもそこそこに、「アシンメトリ現象」の存在が社会に認知される重要性と、そのために私がこれまでやってきたことを一気に訴えた。話し始めてどれぐらいの時間が過ぎただろうか。ふと、われに返って言葉を切った。もう伝えるべきことはいい尽くしたのではないか。そう考えていると、それまで私の話にじっと聞き入ってくれていた藤原社長が大きくうなずいて、「うちで出しましょう!」と力強くいってくださった。
その言葉を聞いて、これまでの25年が頭のなかを駆け巡る。「アシンメトリ現象」の発見は、私に託された神からの預言だとまで思い詰めていた私も、これでようやく肩の荷が降ろせる。この安堵と喜びの気持ちは言葉にならない。
当たり前のことだが、出版というのはただ本が出ればいいというものではない。どこの出版社から出るかで、その本の信頼度は全くちがったものになる。それが「あの」藤原書店から出るとなれば、「アシンメトリ現象」の信憑性も大いに高まる。これがうれしくないはずがない。
今までの私の本3冊は健康本だけだった。健康本を出したいと願ってきたわけではないが、結果としてこうなった。本屋に行くと、小説・ノンフィクション・医学・学術など各ジャンルでコーナーが分かれている。そのうち健康本は医学の専門家以外の、ごく一般の人がターゲットである。そうなると、必然的に文字を減らして読む部分を少なくし、写真やイラストを多くする必要がある。パッと見で素人受けするような構成になっていないと売れないのだ。
その結果、健康本のコーナーに置かれれば、文字の多い本など見向きもされない。いくら「アシンメトリ現象」の重要性を伝えようとしても、周りのハデハデしい本のなかに埋没して、存在感が薄くなってしまう。しょせん健康本のジャンルでは、私の伝えたいことと読者のニーズとの温度差は埋められない。
そこで今回は戦術を変更した。健康本ではなく一般書として、より広い読者層に向けて出すことにしたのである。すると文字数も多くできるし、本格的な読書家にも納得してもらえるはずだ。何よりも日ごろ私自身が、こんな本に出会いたいと願ってきた内容に仕上げられた。
そもそも私は美術が専門である。美術家である私にとって、健康業界に身を置くことは全くのアウェイでの闘いだったのだ。しかし『モナ・リザの左目』は美術を基軸としたおかげで、やっとホームグラウンドに戻れたわけである。その上で、読み物としてのおもしろさに力点を置いたので、新しい読者の反応が楽しみだ。
「アシンメトリ現象」の解消を目指すモルフォセラピーに明確なセオリーがあるように、出版業界にも売れる本のセオリーがあるという。まずはだれもが知っている話だけで展開し、そこにほんのわずかに新鮮みをもたせたネタを添える。それだけで読者は大いに満足するものらしい。
「オリジナルの話はウケない」と、大ベストセラー作家である養老孟司さんが書いているのだから、その通りなのだろう。ところが私が書いた話は、すべてがオリジナルである。したがって、だれもが聞いたこともない話ばかりなので、セオリーからは大きく逸脱している。果たして読者はついてきてくれるだろうか。いささか心もとない気もする。
だが私には、真実はいつか必ず伝わるという信念がある。現に、以前この原稿を読んだある出版社の編集長も、内容には太鼓判を押してくれた。うちではカテゴリーが合わないから出せないが、これなら必ず出してくれるところがある、賞が狙えるとまでいって励ましてくれたのだ。
しかもノンフィクションとしての読みごたえを求める読者層に向けて、さらに内容を深め、ページ数も増やしたほうが良いといってくださった。そのアドバイスにしたがって、大幅に書き直したおかげで厚みも倍になり、自分としても書きたいことを過不足なく書き尽くせた。
今の出版業界では、本の寿命が短い。次々に新しい本を出し、売れなければ即座に断裁して絶版にしてしまう。そのため本が市場にとどまる期間はどんどん短くなっている。2014年に出した『からだの異常はなぜ左に現れるのか』が、現在も売れ続けているのはかなり珍しいことだ。しかし健康本である以上、対象となる読者層が薄い。だから今回初めて一般向けに書いた『モナ・リザの左目』は、「アシンメトリ現象」が世界に認知されるその日まで、何としても市場にとどまり続けてくれなくてはならないのだ。
その点、今回お世話になった藤原書店では、めったなことでは絶版にはしない。自社の本を長く売り続けるのがモットーであるらしい。私もロングセラーを意識して、『モナ・リザの左目』が何年経っても古びないように内容を厳選した。しかもいつ「アシンメトリ現象」が脚光を浴びても遜色ない仕掛けも施してある。
本書には、これまでメールマガジンやブログで取り上げてきたキーワードがちりばめられている。そのため、昔からの読者のなかには既視感を覚える部分もあるかもしれない。しかし1冊の本としてまとめることで、初めて「アシンメトリ現象」の全体像を俯瞰できるようになった。おかげで、この現象がいかに広範にわたって人類に影響を及ぼしてきたか、その重要性を改めて認識していただけると思う。
さらにモルフォセラピーの実践者にとっては、「アシンメトリ現象」への理解がモルフォセラピーの理論の背骨となるはずなので、この機会にぜひ本書をご一読いただきたい。そして末永く手元に置き、折に触れて読み返していただけることを心から願っている。(花山 水清)
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◆『モナ・リザの左目』花山水清(藤原書店)
「自分の体は自分で治す」のがモルフォセラピーの目標
私は毎月、バスと電車と飛行機を乗り継いで、ちょっとした小旅行レベルの出張を繰り返している。その先月の出張の際、バスに乗り込んだ私は、動き出したバスのなかで腰にわずかな違和感を覚えた。先週の庭仕事で傷めた腰がまだ治りきっていないのだろう。そう考えた私は、大して気にもせずにそのまま空港行きの電車に乗り換えた。
ところが電車が予定通りに動き出した途端、腰に衝撃が走った。とんでもない激痛である。電車が揺れるたびに「ギャッ」と声が出そうになる。しかし月曜朝の車内は通勤客で混み合っている。自分の腰に手を回して矯正することなど、とうていできそうもない。しかも、あまり苦しそうな顔も見せられない。親切な人が電車を止めてしまうかもしれないので、私は平静を装った。
だが強烈な痛みは次第に度合いを強めていった。額には脂汗が流れる。しまいには吐き気までしてきたが、それでも襲い来る痛みをじっとがまんした。そうやって1時間半耐え抜いて、やっと空港のある終着駅に着いた。
それなのに私には立ち上がることも歩くこともできない。他の乗客が全員降車したあとのガランとした車内で、しばらく思案する。このまま折り返して帰るしかないのか。いや、そうもいかない。今日から一週間の予定が頭をよぎった。そこで意を決して、そばにある手すりに手を伸ばす。転倒だけは避けたいので、体を支えながら立ち上がる。また痛みとともに汗が吹き出る。それでもにじり出るようにして、何とか電車から降りることができた。
そうしてやっとのことで腰に手を伸ばし、この強烈な痛みの原因となっている背骨のズレを探す。すでに腰全体が熱をもって腫れ上がっていた。やはり相当な重症である。どうやらズレているのは1か所ではなさそうだ。腰椎だけでなく仙腸関節まで大きくズレていた。
いつもなら自分の腰などおざなりな矯正しかしないが、今日は真剣だ。ズレたところを根気よく何往復も矯正し、かろうじて歩けるまでになった。その一部始終を興味深げに見ていた売店のおばさんも、歩き出した私を見て安堵の表情を浮かべていた。
あとは飛行機の出発時刻まで十分時間があるので、ひたすら歩くことでリハビリに努めた。その甲斐あって、無事に予定通りの便に搭乗できた。とはいえ、飛行機もよく揺れる。機内でズレがぶり返すことは目に見えていたので、また自分で矯正できるように広めのシートに予約変更できたのは幸いだった。
さてやっと羽田に着いたと思ったら、また電車に乗らねばならない。いつもなら遠慮がちに座るシルバーシートだが、今日はそういうわけにはいかない。周囲の若者を目線で威嚇しながら、堂々と座らせてもらう。そんなこんなでようやく事務所にたどり着いたときには、ほとほと疲れ切っていた。
だが、これがモルフォセラピーなど知らない人だったら、この程度ではすまない。電車のなかで動けなくなったのだから、担架で救急車に乗せられて、そのまま入院することになっただろう。土壇場での予定キャンセルは、多くの人に迷惑をかけることにもなる。そうならずにすんだので本当に助かった。おかげで今回は、わが身をもって改めてモルフォセラピーの威力を認識できた。また、歩けることのありがたみもつくづく思い知らされた。
そういえば以前、私が乗るはずだった飛行機が機長急病のため欠航になったことがある。ひょっとしたらあの機長も、私のようにぎっくり腰で動けなくなったのかもしれない。もしそうだったら、飛行機が飛び立ってからでなくてよかった。
パイロットにかぎらず、だれでも急な腰痛で動けなくなれば大変なことになる。救急搬送されてしまう人も大勢いるはずだ。しかしモルフォセラピーの技術を知っていれば、そんな状況でも自分の手でどうにかやり過ごすことができる。別に自分でなくても、そばにいるだれかに背骨のズレを矯正してもらえばすむ。職場の同僚でもいいし、学校の同級生でもいい。もちろん家族同士で矯正するのがもっとも効率がいいだろう。だからこそ、モルフォセラピーは家庭内での実践を特に推奨しているのである。
私は常々「自分の体は自分で治す」のは「自分の身は自分で守る」のと同じで、生き方の基本だと思っている。だが最近の日本ではこの考え方は通用しない。すぐに他人に頼ろうとする人が多いようだ。この傾向は医療では特に顕著だろう。だからちょっと調子が悪いとあわてて病院に駆け込む。周りの人も当然のように病院での検査を勧めてくる。そして医師から「問題ありません」の一言を聞くために、多大な労力を費やすことになる。
実はこのように日本人が何かにつけて病院に頼るようになったのは、ごく最近のことである。1961年に国民皆保険制度が運用され始めた当時は、多くの国民はなかなか病院へ行こうとしなかった。そこで考え出されたのが、定期健康診断制度である。この制度の導入を境に、だれもが健診の結果に一喜一憂し、結果が悪ければ自動的に通院するようになった。その甲斐あってか、今では病院で検査さえしてもらえば病気予防になると錯覚するようにまでなった。つまり、みなが病院依存症患者になったのだ。
こうなると体のことは全て医者任せで、患者は指示に従うだけのものになってしまった。これは見方によっては異常な状況だ。自分で自分の体のことがわからないのは、他人に「私は今どこか痛いところがありますか」とたずねるようなものである。
本来なら人間は自分の体の異常は自分で感じ取り、自分で対処するのが当たり前だ。そういうと、「そんなこといわれてもどうすればいいのかわからない」、「もしものことがあったらどうするんだ」と不安がる。
ところが「アシンメトリ現象」の成り立ちを理解して、モルフォセラピーを実践すれば、かなり広範囲の不調にも自分で対処できるようになる。そうするとよほどの感染症や大ケガでもない限り、医療に頼る必要がなくなる。その結果、本当に必要な人だけに適切な医療が行き渡る。これこそがモルフォセラピーの目指すところであり、真の社会貢献になると私は思っている。(花山 水清)
施術のリスクとどう向き合うか
以前ある治療家の元へ、重い腰痛の患者が訪れた。あまりにひどい背骨のズレを見て、思わず彼は「これは大変でしたね」と口にした。するとその患者ばかりか、付き添ってきた母親までが「やっとわかってもらえた」といって涙ぐんだのだという。まだ何の治療もしていない段階でこれほど感激されるとは、その苦しみはよほどのことだったのだろう。
たしかに背骨のズレによる症状は、どれだけ病院を渡り歩こうが、どんな検査を受けようが、決して診断に至ることはない。病院での検査には、背骨のズレという項目は存在しないからだ。病院での検査で問題が見当たらなければ、医師たちには治療するどころか診断すらできない。すると医師は「(この状態で)痛いはずはないんですけどね」などといって、患者の切なる訴えを否定することもある。
そこで患者が自分の症状を強く主張してみたところで、その症状は精神的なものだとかんたんに片付けられてしまう。かくして柳澤桂子の『認められぬ病』のように、患者の孤独な闘いが始まるのである。その一方で医師たちは、自分たちにとって原因不明の症状に出会うたび、現代社会のひずみがいかに人体に影響を及ぼしているかを説き続けることになる。
実はこういった状況は日本だけに限った話ではない。背骨のズレが原因の「認められぬ病」の患者は世界中にあふれているのだ。しかし彼らがモルフォセラピーに出会う確率はかなり低い。運良く巡り合えたとしても、すべての人がその苦しみから解放される保証はない。
もちろん背骨のズレによる症状は、そのズレた背骨を正しい位置に戻せば解消する。これは至ってかんたんなメカニズムである。だがズレた背骨を矯正することには、思わぬリスクが伴うこともある。
たとえば肩たたきは、だれもが一度は体験していることだろう。相手の肩をたたいたり、逆にだれかにたたいてもらったりすることで、肩たたきには治療と同時にスキンシップの要素もある。その肩たたき程度のことで、よもや危険が及ぶなどとはだれも思いもしない。肩たたきのせいで血流が突然変化して、貧血のような症状が起きたなどという人もいないはずだ。ところがモルフォセラピーでは、そのようなことが起こり得る。しかも肩たたきの10分の1ほどの力も使わず、ほんの一瞬触っただけでも起きることがある。
かつて私にもその経験があった。肺がんと心筋梗塞の病歴をもつ方が来院されたので、体を見ると胸椎3番と4番が極端にズレていた。このズレが、肺がんと心筋梗塞の発症に関与しているようだった。
しかし私は慎重かつ臆病なので、そんな病歴がある人の背骨のズレをいきなり戻すようなことはしない。かなり用心しながら少しずつ矯正していく。そのときもわずかに指が触れた程度だった。それなのに、あれほど極端だったズレが、一瞬で見事に収まってしまったのである。途端に彼の顔に赤みが差した。それと同時に私の顔からは血の気が引いた。彼は「血がグルグル回っている」といって、経験したことのない血流の変化にとまどっている。
この状態は、それまでせき止められていたダムの水を一気に放流したようなものだ。勢いよく流れていった先で、どのような変化が起こるかを完全に予測することはできない。このときは、横になって少し休んでいてもらったら落ち着いたのでホッとした。今思い出しても冷や汗の出る体験だ。
モルフォセラピーは、よく切れる刃物のようなものである。触れるか触れないか程度の力でも、矯正の角度と力の向かう方向が的確なら、とんでもないズレでもたちまち矯正できてしまう。背中のかゆいところを一かきした程度のわずかな力であっても、急激な血流の変化が起きることがある。こんなことは常識では考えにくいだろう。
こういった変化がすべての人に起こるわけではないが、どのような状況ならリスクがあるかを完全に見極める方法もない。モルフォセラピーで背骨のズレを戻すことはたやすいが、そのズレを今、どの程度まで戻してよいかの判断がむずかしいのだ。私の経験上は、甲状腺疾患の人、体内にステントを入れている人、虚弱体質の女性などには、極端な血流の変化によって、妙な症状が起こりやすいようである。
実際のところ、人体に外から力を加えると何が起きるのか。それがわずかな力であっても、その衝撃が体内に引き起こす結果をすべて把握することは、最先端の科学でも不可能だろう。
自分の目の前に、途方もなく高額で世界に1台しかない精密機械が置かれたとする。それをいきなりたたいてみる人などいない。壊れてしまったら取り返しがつかないから、まずは「手を触れないようにしよう」と考えて距離をおくはずだ。ヒトの体についても同様で、手を触れずにすむものなら、それに越したことはない。施術においてはそういうわけにもいかないのが悩ましいところである。
私の古い知り合いに、カースタントで有名なTさんがいる。彼は長年の仕事を通しておびただしい数の骨折を経験してきた。だがそれは決して無謀なことをしたからではない。彼は常々「イチかバチかで勝負をするのは素人だ。先の先まであらゆるアクシデントを想定したうえで、安全に仕事をこなすのがプロフェッショナルなのだ」といっている。従ってその骨折もやむを得ぬシチュエーションの結果なのである。
「あらゆるアクシデントを想定したうえで安全に仕事をこなす」
私も、これこそがモルフォセラピーの第一義であるべきだと肝に銘じている。(花山 水清)
間質性肺炎の咳や胃潰瘍の痛みへの対応
モルフォセラピーの手技はいたってかんたんである。私の書いた本や手技のDVD、ネット配信の動画を見ただけで、ある程度マスターしてしまう人もいる。介護の仕事に、モルフォセラピーを取り入れているSさんもその一人だ。
モルフォセラピーのDVDを見たSさんは、高齢者施設でお年寄りの世話をしながら、背骨のズレを見つけてはすかさず治すことを日課にしている。
当のお年寄りたちは、やさしく背中をさすってもらっているとしか感じていない。それでも日常の動作の一つとして、背中をさすりながら矯正しているうちに、みな元気になっていくのがSさんにはわかる。今までほとんど歩けなかった人が、歩けるようになったこともあった。だれに褒められるわけでもないが、やさしいSさんとしてはお年寄りが元気になるのがうれしくてたまらない。ますます介護にもやりがいが増しているようだ。
このようにモルフォセラピーというのは、たとえだれかに直接教わらなくても、日々実践していれば必ず上達する。実践を重ねた経験こそが上達の秘訣なのである。
そんなSさんが、あるときおもしろい発見をした。
いつものように高齢者の体に触れてみると、感触が他とはちがっているところがある。そこだけ弾力が失せているのだ。その部分を注意深く指先で探っていくと、奥にブツブツとしたものがあるのを感じた。そこで弾力のない部分の中心に向かって、まわりから指先でそっと圧をかけてみた。すると弾力の失せた部分に、少しずつ張りが戻ってきたのである。
Sさんにはそれが何なのかはわからなかったが、張りが戻ったのは悪いことではないと感じたという。この話を人づてに聞いて、私はたいへんうれしかった。
モルフォセラピーの目的は、背骨のズレの矯正による「アシンメトリ現象」の解消である。しかし疾患の原因の全てが背骨のズレというわけではない。背骨のズレが原因でなければ、その症状に対しては全くちがったアプローチが求められる。今回のSさんが行なった手技もその一つである。彼はだれにも教わらないのに、自然にこの技術を会得したのだった。
それでは彼が行なった手技とはどのようなものだろうか。
体の組織というのは、健康体であればどこに触れても同じように感触は均質だ。ところが「アシンメトリ現象」では、左の起立筋が右に比べて緊張して硬くなっている。また打撲などの場合は、組織が部分的に硬く腫れ上がる。
それとは逆に、Sさんが見つけたように組織の弾力が局所的に弱まっていることがある。たとえば、かつて肺炎や結核を経験した人の胸部を見ると、病巣があった辺りは弾力が失われてへこんでいる。過去にそのような病歴がないのであれば、肺がんではないかと疑うことになる。つまり組織の張りがなくなっているのは、現在何らかの病巣があるか、かつて炎症を起こした痕跡だと考えられるのだ。
そして何らかの炎症があると、Sさんが見つけたようにブツブツとしたリンパの腫れらしきものが指先に当たる。この感触の有無が、その状態が正常か異常かを見きわめる目安にもなる。
最近、新型コロナウイルスによる肺炎が問題となっているが、もっとも治りにくい肺炎に間質性肺炎がある。間質性肺炎は、抗がん剤などの薬物投与によって引き起こされる肺炎である。
この間質性肺炎にかかって以来、咳が止まらなくなっている男性がいた。彼は病院で、ありとあらゆる治療を試みたが一向に咳が止まらない。あとは自然治癒を待つより他に手がない状態だった。
実は間質性肺炎による咳だと診断されていても、その咳の原因は単なる胸椎のズレだったということは多々ある。そのため、原因となっている胸椎のズレを矯正すれば咳が止まる。ところが彼には、犯人らしき胸椎のズレが見当たらない。しかし肺そのものの異常が、咳の原因となっていることは明らかだった。
咳が続いている場合、胸椎がズレていなくても肺の周辺には何らかの異常が見られるはずである。そう考えて彼の胸部を丹念に調べてみると、第3胸椎から第5胸椎の右側の部分だけ、組織の弾力が消えていて明らかに張りがない。
こういう状態のときは、その弱った組織に向かって周囲から指先で軽く1分ほど圧をかける。さらに圧をかける方向を次々に変えながら、この動作を何度も繰り返す。すると弱っていた組織の部分に張りが戻ってくる。それと同時に、それまで散々彼を苦しめていた咳も止まった。「あ~空気が奥まで入っていく!」といいながら、彼は深呼吸してこの大きな変化におどろいていた。
もちろんこれで間質性肺炎が治ったわけではない。だが、ひどい咳を止めてあげることで炎症がおさまれば、自然治癒が早まる可能性も出てくるのだ。
咳だけでなく、胃潰瘍の激しい痛みに対してもこの手技で対処できる。まずは背骨のズレの有無を確認し、ズレの矯正を行なったあと、患部付近にそっと圧をかけて炎症を抑えてやると、症状が緩和されるので試してみるとよい。
そういえば私は年齢のせいか、ここのところ誤嚥の回数が増えた。米粒のような小さなものが気管に飛び込んで、激しく咳き込んでしまうのだ。誤嚥性の肺炎は、高齢者などではしばしば命取りになるから油断できない。私の場合、誤嚥したときにはいつも第5頚椎の右側あたりにしこりができる。そのしこりに指先で圧をかけ続けると、必ず誤嚥したものがポロッと出てくる。
こういった手技はだれでもできる単純なものなので、背骨のズレの矯正とあわせて使えば、より多くの場面に対応できて心強いだろう。モルフォセラピーは、その実践者がそれぞれ工夫した技術を研究会などで共有し、そこからさらに進化させ続けていくことが望ましいと私は思っている。(花山 水清)
「神の手」から「神の手の内」へ
私は「アシンメトリ現象」の解消を目指して、20年以上にわたって人体と向かい合ってきた。その集大成がモルフォセラピーとなり、今では多くの方に実践していただいている。
モルフォセラピーの習得者には医師や理学療法士、柔道整復師などの医療のプロだけでなく、アマチュアのままで活躍している人も大勢いる。そのなかの一人のMさんは、この技術を仕事先での信頼構築に活かしているそうだ。
あるときMさんは、商談中のお得意様が腰痛で苦しんでいるのに気がついた。そこで「少し腰に触ってもいいですか」と了解を得てから、すかさず腰椎のズレを見つけ出し、その場でサッと戻してしまった。ほんの数分でたちまち痛みが消えたので、驚いたお得意様は思わず「神の手だ」とうなったという。これでMさんに対する信頼も大きなものになったことだろう。
実はこんな話は、モルフォセラピーの実践者にとっては珍しいことではない。「神の手」とは治療効果に対する最大級の褒め言葉である。だがモルフォセラピーを実践している人なら、だれでも一度はこの称賛を耳にした経験があるはずだ。
世には自称「神の手」もあまた存在する。また治療家を志す者の多くは、「神の手」となることで業界のカリスマを目指そうとするものだ。しかし今はそんな時代ではない。たかが腰痛を治した程度で有頂天になるようでは、あまりにもスケールが小さい。日本モルフォセラピー協会では、世界中を「神の手」で埋め尽くすべく「神の手」の大量育成を目指しているのである。
もちろんどれだけ「神の手」を生み出したとしても、本物の神の手を創れるわけではない。神ならば、100%全ての腰痛を治せなくてはならないからだ。それでも神に近づこうとする努力は評価されるべきである。
では実際のところ、モルフォセラピーの効果はどれほどなのだろう。モルフォセラピー医学研究所の関野吉晴先生は、腰痛に対するモルフォセラピーの有効性は7割ほどではないかと話していた。私もだいたいそれぐらいではないかと思っている。本物の神には及ばないとはいえ、有効性7割は医学的常識から見れば信じがたい数字である。
通常の医療では、プラセボ効果の3割を超えさえすれば治療効果ありと認められる。野球なら3割を超えれば強打者だが、7割バッターなどあり得ないのだから、モルフォセラピーの効果には自信をもってよい。
しかし野球とちがって、民間療法の世界では加算方式ではなく減算方式で評価される。効果が現れなかった3割の人にとっては、7割の有効性など関係ないどころか、全否定の対象となる。こちらでは「神の手」とあがめられる一方で、あちらでは不審な目で見られてしまうのである。
それではなぜ治らない人がいるのだろうか。施術者の単なる技量不足を除くなら、答えは大きく3つに分けられる。
1つ目はかんたんな話で、その症状の原因が背骨のズレではない場合である。これは案外少ないが、ある一定数は存在している。
2つ目は、患者の安全性を考慮して、施術者が安易には手を出せないケースだろう。具体的には、患者が妊婦や成長期の子供であるとか、骨粗鬆症、がんの骨転移、血栓、動脈瘤などがあるときだ。
患者本人から「大丈夫だからやって」と強くいわれることもあるが、この状態の体に触れること自体に危険が伴うので、信頼関係のある家族以外は手出しすべきではない。
またモルフォセラピーのように微細な力でなければ、さらに危険であることはいうまでもない。だが医学知識のない人は、施術を受けることにリスクがあるという認識がない点も知っておきたい。
そして3つ目は、矯正の効果がその場ではわからなかった場合である。モルフォセラピーの有効性7割とは、あくまでも矯正直後の話なのだ。しかし施術の場では効果が実感できなくても、数時間後や翌朝に症状が消えていることは多いものである。
しかし患者としては、その場で効果が感じられなければ満足度が低い。翌日になってから症状が消えていることに気づいても、「自然に治ったのかな」という程度にしか認識してもらえない。それが施術者としては悩ましいところなのである。
ある整形外科医の本には、半年後の追跡調査の結果まで治療効果の実証データに含めていた。半年もたってからでは、腰痛が治ったのは自然治癒だった可能性も大きいはずだ。これが民間療法であれば、半年後の結果など全く評価に値しない。こちらの世界はそれほど甘くはないのである。
このように見ていくと、「治らなかった」とされる背景には一定の傾向があることがわかる。失敗の法則を見つけるのはたやすいものだ。逆にいえば、成功は偶然にでも起こる。しかし治った理由が「たまたま」であってはならない。
そこであえて、なぜ治ったのかの理由を極限まで掘り下げていく必要がある。そのしくみを解明することが、人体の普遍的な法則の探究になるのだ。モルフォセラピーでは、それが「アシンメトリ現象」の発見につながった。
したがってわれわれは、決して「神の手」と呼ばれることに安住してはならない。各自が技術の安全性や効率を高めるだけでなく、施術を通して「神の手の内」まで知り尽くそうと努力することが最も重要なのである。(花山 水清)
頭痛のタネと片頭痛
悩みごとの原因を体の痛みになぞらえて「頭痛のタネ」と表現することがある。この場合は実際に頭が痛くなるわけではない。しかし頭痛そのものが「頭痛のタネ」だという人は少なからずいる。
一口に頭痛といっても、その原因はくも膜下出血のような重大疾患から、睡眠不足や二日酔いに至るまでさまざまだ。頭痛のなかでも最も一般的なのが片頭痛だろう。片頭痛はその字の通り、頭の左右どちらか片方にズキンズキンと血管が拍動する痛みが生じる。
医学的には頭部の血管が拡張することで片頭痛になると考えられているが、その大本の原因が解明されているわけではない。そのため痛みの根本にアプローチするような治療法も確立されていないのである。
ところが最近、片頭痛の原因に作用するといわれる3種類の新薬が発売された。これらは血管拡張性神経ペプチド(CGRP)の受容体に作用することで片頭痛に効果があるという。私はこの薬の記事を読んで、20年ほど前に発売されたイミグランのことを思い出した。イミグラン(スマトリプタン)はセロトニンの受容体に作用して片頭痛に効果を発揮する画期的な薬だと大々的に報じられていたのだ。
イミグランと今回の新薬とは作用する受容体がちがうだけで、両者とも血管拡張を抑える働きをする点は同じである。ただイミグランとちがって、新薬では今のところ大きな副作用は報告されていないようだ。これで片頭痛から開放されるのなら朗報なのだが、まだこれだけで「頭痛のタネ」が消えるわけではない。そこで今回はモルフォセラピーとして片頭痛を考察してみたい。
ご存じのように片頭痛はモルフォセラピーの矯正の対象である。もちろん片頭痛の原因となっている頭蓋や頚椎のズレの方向が、胸椎や腰椎と同様に左一側性であることに変わりはない。また、ズレによる症状が左右のどちらにでも出る点も同じである。しかし片頭痛の症状が右に出るか左に出るかによって、その矯正法ははっきりとちがうものになる。
たとえば頭の右側に痛みがあるとき、頭を斜め左に倒して第1頚椎と第2頚椎の棘突起の右側にしこりがあるのが指先に当たるなら、これは頭蓋と第1頚椎がズレているのである。この場合、頭を右に倒してみても左側にはしこりがない。それが確認できたら通常通りに矯正する。ズレ幅が小さいようなら、しこりに指先で圧をかけ続けるだけでも症状が消えるはずだ。
片頭痛に限らず、ほとんどの頭痛は主に頭蓋や頚椎1番、頚椎2番あたりのズレに起因している。そのズレによって椎骨動脈や頚動脈に機械的な力が加わると、頭部に動脈炎のような症状が現れる。これは体のどこかを打ち付けたとき、ズキンズキンと拍動する痛みが出るしくみにも似ている。
ところが頭蓋や頚椎のズレは血管だけでなく交感神経をも刺激するので、興奮した交感神経の作用によって血管は収縮する。従ってズレを矯正すると、交感神経の作用が収まって血管が拡張することになる。これは医学的な説明とは正反対の結果なのである。
先述したように、医学的には片頭痛の原因は血管拡張だとされている。だからこそ薬によって血管を収縮させれば症状が抑えられると考えるのだ。しかしズレという現象を基準にするなら、やはり私には血管拡張が片頭痛の原因だとは考えられないのである。
血管拡張と聞くと、私たちはホースが膨らむように均等に血管が広がっている姿をイメージする。しかしそのように血管が拡張しただけで片頭痛が起こるものなら、だれもが毎日片頭痛を体験していなければならない。しかも単なる血管の拡張が原因ならば、なぜ痛みが左右の片側だけに出るのかの説明もつかない。片頭痛のしくみはそれほど単純ではないはずだ。
では片頭痛発生時の血管には、どのような変化が起きているのだろうか。
片頭痛と似た症状に三叉神経痛がある。三叉神経痛も片頭痛と同じく頭蓋や頚椎のズレによって引き起こされている。これらのズレを矯正することで症状が消える点からみても、症状と原因との因果関係は明白だ。そしてこの三叉神経の興奮が、強力な血管拡張作用をもつCGRPの放出の引き金であることも知られているのである。
これらのことから何がわかるだろう。
まず頭蓋や頚椎のズレによって交感神経が刺激されると血管が収縮する。しかしその際、ズレは三叉神経をも刺激してしまうため、CGRPの放出によって血管が拡張する。拡張した血管は、頭蓋や頚椎のズレの部分で圧力が増すことになる。これが痛みを引き起こしているのである。
このようなストーリーによって片頭痛が起きると考えれば、血管の拡張、収縮と片頭痛の有無のつじつまが合う。片頭痛の症状が左右の片側だけに現れる理由も、そこにズレが介在しているからなのだ。
しかし「頭痛のタネ」は他にもまだ残っている。仮に新薬が効果を発揮したとしても、それは一時的な症状の緩和に過ぎない。頭痛の原因となっている頭蓋や頚椎のズレが解消されなければ、患者は薬に依存し続けることになってしまう。その頭痛薬への依存が新たな頭痛を生んでいることも、医学的には周知された事実なのである。
それだけではない。頭蓋や頚椎のズレによる血管への刺激が続くことは動脈硬化の原因にもなり得る。そのような状態で頭痛薬によって血管を収縮させ続けていると、いずれは脳血管障害を発症する危険性まであるのだ。
従ってモルフォセラピーにおいても、片頭痛や慢性頭痛の患者への施術には特に注意したい。ズレの矯正によって急激な血管拡張が起これば、一過性の脳虚血発作を引き起こす可能性もゼロではないからだ。
少なくとも初めての患者に対して「一発で決めてやろう」などと意気込むことは控えたい。モルフォセラピーの効果を確信しているからこそ「安全第一」を旨とし、はやる功名心を抑え込む謙虚さを忘れないでおきたいものである。(花山 水清)
胸椎のズレによる心臓の異常はなぜ増えているのか
昨秋(2021年)、厚生労働省から新型コロナウイルス感染症のワクチン接種による心筋炎への注意が呼びかけられていた。心筋炎とは、ウイルスなどによって引き起こされる心臓疾患であるが、この心筋炎とは別に、私が最近気になっているのは、心臓の異常を訴える人が増えていることだ。狭心症のように心臓の鼓動がトトトトッと速く打ち、それと同時に胸の痛みや息苦しさを感じる人がやたらに多いのである。
狭心症はほとんどの場合、高血圧による動脈硬化が原因だとされている。しかし私が指摘している狭心症的な症状は、主に第4胸椎が左にズレていることが原因だ。
胸椎がズレると肋骨が押し出されて体幹にひねりの力が加わる。第4胸椎がズレると、そのひねりの力は体幹の中心に位置する心臓にまで及ぶ。その結果、狭心症のような症状が現れるのである。
また胸椎のズレによって肋骨が押し出されることで体幹に局所的なひねりの力が働くと、肋間筋が引きつる。これが息苦しさや胸苦しさなどの原因になっている。
従って、そのズレている胸椎を正しい位置に戻すことでこれらの症状は消える。この事実から見ても、ズレと症状との因果関係は明らかだろう。
実は狭心症が悪化した状態の心筋梗塞患者にも、この第4胸椎のズレが認められる。狭心症と心筋梗塞は虚血性心疾患としてくくられているが、これらの虚血性心疾患には第4胸椎だけでなく第1胸椎のズレも影響している。
第1胸椎のズレが腕神経を刺激した場合、虚血性心疾患に見られる左肩や左腕への放散痛と同じ症状が出るのも偶然ではない。また第1胸椎のズレが頸動脈や椎骨動脈を圧迫して血流を阻害することで、動脈硬化の原因の一つにもなり得るのである。
さらに第1胸椎が左にズレると、肋骨と連動して左の鎖骨が左へとズレるとともに、押し上げられる形で頭頂方向へも移動する。すると鎖骨の下を通っている心臓神経を直接刺激して、心臓に異常を引き起こす。
ズレによる影響はそれだけに留まらない。左の鎖骨の下にはリンパ本管が流れ込む胸管があるため、ズレた鎖骨による圧迫がリンパ液の還流を悪化させ、より複雑な病態を引き起こすことになる。
この状態が続くと左の鎖骨のくぼみが消えてしまう。これは「アシンメトリ現象」がかなり進行した状態の特徴で、目で見てはっきりと確認できる。
しかしこのような胸椎などのズレが引き起こす心臓への異常が病院で指摘されることはない。私の印象では今や腰痛患者よりも多くなっているのに、腰痛とちがって一時的な症状であるため、いつしか本人も症状があったことすら忘れている。私から心臓に何か異常がなかったかと訊かれて初めて「そういえば…」と思い出す人が多いのだ。
まして今現在、心臓に何の症状も出ていなければ、病院を受診しようなどとは思わないだろう。だがたまたまこれまで症状が出ていなかっただけなので、胸椎が大きくズレたままでゴルフなどで勢いよく体幹をひねってしまったら、突然死も起こり得る。
それではなぜ胸椎のズレによる心臓の異常がこれほど増えているのだろうか。うがった見方をすれば、放射線被曝の影響も考えられる。
チェルノブイリでの原発爆発の後、近隣住民に心筋梗塞が増えたことが知られている。福島第一原発の爆発事故から10年が過ぎた日本でも、すでに同様のことが起きていると指摘する人もいる。私にはそれが事実かどうかを確認するすべはない。しかし胸椎が大きくズレて心臓に異常を感じる人が増えていることだけはまちがいない。
もちろん本来なら、ズレている背骨はことごとく正しい位置に戻すべきである。ところが胸椎の扱いはそれほど単純ではない。胸椎が大きくズレて心房細動を起こしているような場合、そのズレをいきなり戻してしまうと血栓が飛んで、何らかの臓器に塞栓を引き起こす危険性があることは知っておきたい。
これは胸椎に限ったことではないが、背骨のズレの矯正は重大な結果を生むことがある。それを念頭において施術に臨むことが重要だ。ズレを見つけて戻すだけなら素人でもできる。プロであれば、患者の身体状況の全体像を見極めたうえで、このズレを戻していいものかどうか、そこから始めなくてはならない。そうやって常に思考しながら施術することで、原因の解明にも踏み込んでいただけることを願っている。(花山 水清)
ふくらはぎが痛い原因と深部静脈血栓
先日寝ていたら、右脚のアキレス腱からふくらはぎにかけての強い痛みで目が覚めた。前の日に壁のペンキ塗りでハシゴを昇り降りしていて足首を捻挫したのだろうか。
足首の捻挫には主に2つのパターンがある。一つは足首をひねって外くるぶしに痛みが出るもので、これは誰もが一度は体験しているだろう。もう一つは少し特殊だが、爪先立ちで踊るバレリーナに多く見られる捻挫である。この場合、脛骨と距骨との間にズレが生じてアキレス腱やふくらはぎに痛みが出る。バレエでなくても、爪先から飛び降りたり、ハシゴ仕事などでも同様の捻挫は起こる。
だがどちらも治療はかんたんだ。足首をもって少し足を引っ張りながら、ゆっくりと正しい位置に戻してやるだけでよい。この矯正がうまくいけば、その場で痛みが消えて少々の腫れならすぐに引いていく。
もちろんこれらの捻挫は骨や靭帯が損傷しているものを除く。逆に病院では、アキレス腱やふくらはぎに痛みがあっても骨や靭帯に明らかな損傷が見られなければ、それが捻挫のせいだとは考えない。その結果、全く関係のない治療をしてしまうことがあるのだ。
例えばあるバレリーナなどは、ふくらはぎの痛みで2度もアキレス腱の手術を受けたが、症状が全く改善しなかったため引退を余儀なくされた。他にも、ふくらはぎが痛いのは持病の自己免疫疾患が悪化したからだと診断されて、免疫抑制剤の投与量を増やされた人もいた。だが二人とも、上記の手順で軽く足首を矯正しただけでその場で症状が消えたのである。
では私のふくらはぎの痛みはどうなったのか。寝床から起き上がるのが面倒だったので、横着をして寝たままの姿勢で矯正を試みた。左足の親指と人差指で、痛みの出ている右足首を挟んで引っ張ってみたのだ。ふつうなら完全でなくてもある程度まで戻すだけで自然に痛みが引くものだからである。
ところがそのまま寝てしまおうとしたのに、先程よりも痛みが増してきた。あまりの痛みに起き上がって足首を調べてみると、捻挫ではなさそうだ。
原因が捻挫でなければ、疑われるのは腰椎3番、5番のズレである。腰に手をやると案の定、腰椎3番が大きくズレている。どうも自分の体となるとおざなりだが、とりあえず3番のズレを戻してみると痛みがかなり引いたので眠りについた。そしてあくる朝には完全に痛みは消えていた。
このようにふくらはぎの痛みというのは、捻挫だと思ったら腰椎のズレだったり、その逆だったり、またそれら両方のこともある。両者の違いは、捻挫なら時間の経過とともに痛みが引いていくのに対し、腰椎のズレであれば時間がたっても痛みに変化がなかったり、痛みがもっと強くなったりしてしまうところだろう。
また骨折の場合でも捻挫と似たようなことが起きる。病院ではもう骨は治っていると診断されたのに骨折時の痛みがそのまま残っているとき、背骨のズレを戻してやると痛みが消えることがある。これは珍しいことではないので、日ごろの施術で同様の経験をされた方もいるだろう。
さて、ふくらはぎの痛みで注意しなければいけないのは深部静脈血栓の存在だ。昭和46年(1971年)、当時の横綱「玉の海」が虫垂炎の手術を受けた後に深部静脈血栓を発症し、その血栓が飛んで肺塞栓を起こして亡くなった。まだ27歳だった現役横綱の急死は社会的にも大きな衝撃であったため、このニュースのおかげで一般人だけでなく医療の現場でも血栓の恐ろしさが認識されるようになったのだ。
その後、深部静脈血栓はエコノミークラス症候群として広く知られるようにもなった。しかし狭い場所で長時間動かずにいることでふくらはぎの部分に血栓ができるので、飛行機に乗らなくても発症する。
血栓の有無は、ふくらはぎの表面を少しずつなでてみると、指先にわずかに硬い組織が当たることで確認できる。もし患者さんに血栓があると判断したら、即座に施術を中止して循環器科の受診を強く促すべきである。何らかの刺激でその血栓が肺に飛んでしまったら命に関わるのだから、強い刺激を加えることなどもってのほかだ。
かつて「こんなしこりなんか、もみ切ってしまえばいい」といって、ふくらはぎをゴリゴリもんだ治療家の話を患者さんから聞いたこともあるが、無知ほど怖いものはない。逆にいえば、知識ほど大切なものもない。われわれは施術を通して人の命に関わる以上、医療全般の知識を学び続ける努力だけは怠らないようにしたいものである。(花山 水清)
医療の進歩をはばむ「ストレス原因説」
昭和も終わりのころ、日本はバブル経済に湧いていた。企業だけでなく個人までもが我先にと株や不動産投資に奔走し、右肩上がりの経済を支えていたのである。
そんな世相を反映してか、「24時間戦えますか」と唄うドリンク剤のCMも流行していた。その一方で働きすぎの企業戦士たちは、体だけでなく心までも消耗した挙句、心身症を患う人が増えて社会問題にもなっていた。
心身症とは今でいえば精神的ストレスによるうつ症状のようなものだ。だがその大きな違いは、心身症は体に原因を求めるのに対し、現代のうつ症状は心の問題が先にくる点だろう。この違いは医療にとっても大きな変化であった。
古代から、体と心のどちらに重きを置くかは医療における最も重要なテーマだった。古代ローマのユウェナリスは「健全なる精神は健全なる肉体に宿る(べきだ)」と説いた。これは昭和のころまでは医学的にも当たり前の話だと考えられていたのである。
ところが20世紀に入ると時代は大きく変わった。ハンス・セリエがストレス学説を発表して以来、いつのまにか腰痛からがんにいたるまで、体の病気の多くは精神的ストレスが原因だとする説が主流になっていった。つまりこれは、精神さえ健全なら体も健全だといっていることになる。
実際この考え方を反映するようなできごともあった。2011年に福島第一原子力発電所が爆発したとき、被曝の影響を恐れる人たちに向かって「笑っていれば(被曝しても)がんにはならない」と公言した有名な医師がいたのである。これではほとんどカルトの世界だろう。
私はストレスが原因で病気になるなどという話を聞くと、子供が「治らないのはボクのせいじゃないもん!」といって責任逃れしているようにしか思えない。医師が「ストレスが原因だ」といい切った時点で、彼には治せない病気だといっているわけだから、彼の手でその病気が完治する見込みもなくなってしまう。
しかし科学が進歩すれば、これまでストレス原因説によって見放されてきた疾患が治る可能性はある。
たとえばセリエの説いたストレス学説の3大症状の一つに胃潰瘍がある。胃潰瘍は心身症の代表的な疾患でもあり、原因は精神的なものだと考えられてきた。しかも放置すれば将来胃がんになるといわれ、患者の多くは胃の切除手術を受けていたのだ。
ところが1983年にロビン・ウォーレンとバリー・マーシャルらの発見によって胃潰瘍の原因はヘリコバクター・ピロリ菌だとわかったおかげで胃を取られることはなくなった。
この事実はストレス原因説の根幹を揺るがす一大事件だったはずだ。だがその後もストレス学説を誤用したストレス原因説の勢いは一向に衰える気配がない。私が危惧するのは、精神的ストレスが原因だといって思考停止しているうちは、疾患の真の原因にたどりつく可能性がない点である。
2005年に『腰痛は「ねじれ」を治せば消える』を出版したときも、こういった風潮に対して一石を投じたつもりだった。腰痛は背骨のズレによって起こるのであって、精神的ストレスが原因ではないと伝えることが本書のいちばんのテーマだったのだ。
しかし社会の大きな潮流は、一度方向が定まると容易には変えられない。だれもがこぞって同じ方向に流されてしまうものらしい。それゆえ、私はこれまでストレス原因説を真正面から批判したものを見たことがない。
知り合いの医師にも、精神的ストレスが原因だとされる病態の多くは背骨のズレによる症状だと話してみたことがある。するとこの医師は「その背骨のズレの原因はストレスではないのか」と切り返してきたのだ。ここまでくると、もはや信仰である。
西洋ではデカルトの心身二分論(心身二元論)の登場以降、医学は科学として発展してきた。ところが日本の場合、曹洞宗の開祖である道元が唱えた「心身一如」の考え方が今でも根強い。さらに戦時中の教育による「心頭滅却すれば火もまた涼し」といった精神論も、一定の効力を保持している。これらが医療の現場でも悪影響を及ぼし続けているせいで、原因不明の疾患は患者の精神によるものだと決めつける傾向が強いのである。
もちろん私は精神的ストレスの存在そのものを否定しているのではない。だれしも片思いの相手に会えば、心がときめいて心臓は激しく鼓動を打つ。だがその状態が続いたからといって、片思いで心臓病になると考えることにはむりがある。今の医学には、こういった原因と結果をこじつけたような話が多すぎる。要するに腰痛がストレスにはなるが、ストレスが原因で腰痛にはならないのだ。
しかし医療者の圧倒的大多数は、背骨のズレによる症状の存在を受け入れないままである。そして彼らがストレスを持ち出してこのような空論を交わしている間にも、救われない患者の数だけがひたすら増え続けている。このことを念頭に置いて、われわれはモルフォセラピーの技術の向上だけでなく、理論の普及にも個々人で努力していかなければならないだろう。(花山 水清)
「痛い」のは悪いことなのか
「肩こりは日本人特有の症状だからアメリカ人にはない」
昭和のころにはこんな話がまことしやかに語られていた。しかし英語にも stiff neck や stiff shoulders という肩こりを指す言葉は存在する。またそれらのこりをほぐすマッサージも人気があるようだ。
英語ではこりの場所である首は単数形の neckで、肩は当然複数形の shoulders だが、膵臓がんなどの特定の疾患になると、なぜか左肩だけにこりが現れることが知られている。もちろん「アシンメトリ現象」は左半身だけ感覚が鈍くなるのが特徴なので、両肩をマッサージしてもらっても、左右同じ力でもまれているはずなのに、左肩は押されている感じが弱い。
通常のマッサージなどでは、押されて痛いところが悪いと考える。だから痛い部分を重点的にもんでほぐそうとする。しかし「アシンメトリ現象」の場合は、本来感じるはずの痛みが消えている状態を異常だととらえる。従ってこの異常を解消するためには、まずは鈍くなった知覚を痛みを感じる状態にまで戻す。それからその痛みを取り去るのである。
「アシンメトリ現象」の解消を担うモルフォセラピーでは、背骨のズレの矯正が手技の主体である。以前はズレの矯正のほかに、神経刺激という特殊な手技を用いて知覚の異常を取り去っていた。がんなどの患者は左半身の知覚が非常に鈍くなっているので、ある特定の神経をピンポイントで狙って刺激を加えることで本来の知覚を呼び覚ます必要があったのだ。
この手技が奏功すると、今までいくら強く押しても「押されているのかな」という程度だった感覚が突然変化し、軽く触れただけでも飛び上がるような痛みを感じるようになる。この段階になって初めて、その痛みを取り去る作業に移ることができる。しかもがんのように、この工程を経なければ治らない疾患は意外に多いのだ。ところが医学上は、このような知覚の異常の変化については全く知られていない。
がんの治療では、抗がん剤や放射線を使うと患者が激痛を訴えるようになることがある。この痛みは「アシンメトリ現象」の鎮痛作用が解除された結果であるから、がん治療の第一関門をクリアしたことになる。しかし現場の医師たちにはその認識がない。痛いのは悪いことだとしか考えないので、モルヒネなどを使って痛みを抑え込もうとする。だがそういった疼痛治療で感覚が鈍くなって痛みを感じなくなれば、また元の木阿弥なのだ。
痛みとは体の内部から発せられる警報のようなものである。火災が発生したら、装置が作動して警報が鳴ってくれなくては困る。しかしせっかく警報が鳴り響いているのに、装置を解除しただけでは家は燃え続け、しまいには焼失してしまう。要するに痛みだけ止めて、それで症状が治ったと思うのは大きなまちがいなのである。健康を考えるうえでこの認識はとても重要だ。
がんの痛みだと診断されている症状も、実際には背骨のズレによる発痛作用の結果であることは多い。鎮痛剤などで痛みだけ止めても、根本原因であるズレを戻さなければ、その影響は残る。痛みの原因がズレであれば、そのズレを矯正すれば痛みは消える。この点でもモルフォセラピーは有用だろう。
現在のモルフォセラピーでは、神経刺激の手技は背骨のズレの矯正のなかに集約されている。こまめに背骨のズレさえ戻しておけば、「アシンメトリ現象」が引き起こす多くの疾患の予防になるからだ。しかしすでに重症化した疾患に対する神経刺激の即効性も捨てがたい。神経刺激は手技の難易度が高いので修得に時間がかかるのが残念だが、興味のある方にはぜひともチャレンジしてみていただきたい。そして皆でさらに手技を進化させることで、がんなどに対する画期的な治療法が確立すると私は信じている。(花山 水清)
新型コロナウイルスのワクチン接種と背骨のズレ
新型コロナウイルスが蔓延し始めてそろそろ2年になろうとしている。当初は単なる新種のかぜだろうぐらいの認識だったが、またたく間に状況が一変し、世界的なパンデミックとなった。
モルフォセラピー協会の会員のなかにも大変な経験をした方がおられることだろう。私の昔の知人も感染して入院し、家族の面会も許されないまま病院で亡くなったと聞いた。果たしてこのまま収束に向かうのか。それとも今はまだ序の口に過ぎず、今後ますます猛威を振るうのか。その行方はだれにもわからない。
仮にこの新型コロナウイルスの実体がつかめたとしても、確実に制御できるわけではない。それでも年初には一応ワクチンが開発され、世界的にも一定の効果が認められている。私もつい最近、2度目のワクチン接種を終えたところだ。しかし接種を決断するまでには大いに悩んだ。情報を知れば知るほど接種への意欲は遠のいたが、未摂取での感染による社会的影響を考慮して摂取に踏み切った。
そもそもワクチンや抗ウイルス薬はどれも副作用(副反応)が大きい。作用と副作用を天秤にかけると、打つべきか打たざるべきかの判断は非常にむずかしい。特に新型コロナウイルスの場合、現行のワクチンは本人が接種したことで子や孫の世代にどのように影響するかが明確ではない。それだけにこれから子供を作る予定のある若い人にとってはなおさら悩みが深いだろう。
高齢者である私にしても、2011年の原発爆発事故当時の記憶が強すぎて、政府が口にする「安全」という言葉に対してはどうしても疑いが先に来る。ましてワクチンへの疑問には、医師や病院、製薬会社、各国政府やWHOまで、それぞれの立ち場を優先した回答しか出てこない。人類共通の「絶対に正しい答え」など出てくる余地はないのである。
ワクチンを打つ側の医師のなかにもワクチン接種を拒否している人はいるが、そういう情報をかき集めてみたところで確信のもてる答えなど出せるものではない。最終的には本人の野生の勘に頼るしかないのかもしれない。
そんななか、モルフォセラピー医学研究所のS医師からおもしろい話を聞いた。
ある70代の女性がファイザー製ワクチンの2回目の接種後、体温計では熱が出ていないのに手足が熱っぽい。体の節々だけでなく頭や腰も痛む。時間経過とともに少しずつ治まってはきたが、2週間たっても症状が続くので来院された。
S医師が体を診ると、以前はこんなにズレていなかったのに頚椎下部、胸椎、腰椎がみなガタガタにズレていた。胸部肋骨もズレている。そこで背面から頚椎下部、胸椎、腰椎のズレを戻し、さらに前面から胸部肋骨のズレも矯正すると、手足の熱っぽさと体の節々の痛みや頭痛、腰痛が軽快した。それから1か月以上たつが体調は良好だという。要するにワクチンの副反応だと思われていた症状は、ことごとく背骨のズレによるものだったのだ。
私も厚生労働省が発表したワクチンの副反応リストに帯状疱疹が名を連ねているのを目にして以来、背骨のズレのせいではないかと疑っていた。メールマガジンや本にも書いてきたように、帯状疱疹そのものは帯状疱疹ウイルスが原因だが、その発症にはまちがいなく背骨のズレが関与しているからだ。
ワクチンに限らず、何らかの薬の副作用だといわれる症状が背骨のズレによるものだった例は多い。もちろんアナフィラキシーは除外されるが、薬に含まれる化学物質の作用によって背骨がズレたことが症状の原因だったのだ。
ところが診断する医師たちに背骨のズレという認識がないと、薬が直接それらの症状を引き起こしているように見えてしまう。そのため対症療法に終始するばかりで、いつまでたっても副作用の原因にたどりつくことがない。
実はS医師の他にも、当協会の会員からはワクチン接種後の体調不良が背骨のズレの矯正によって改善した例が寄せられている。今後より多くの症例が集まることで、ワクチン接種と背骨のズレとの因果関係も明らかになってくるだろう。新型コロナウイルスに関しては良い話がないので、私は会員の方々からの症例報告を楽しみにしている。(花山 水清)
下顎は左にズレている
先日、日本モルフォセラピー協会宛に、歯科技工士のT先生から大変興味深い内容のメールが届いた。そこには、3千人分の口腔模型を調べた結果、8割に下顎の左へのズレが確認できたと書かれていたのである。
さらに下顎だけでなく全身が「左上がりの左らせん回転にねじれ上がっている」とも指摘されていた。この「左らせん回転」とは上体に向かう反時計回りの回転だと解釈できるから、これは明らかに「アシンメトリ現象」のことなのだ。
これまでにも医学を始め、生物学や心理学などのさまざまな分野において、人体の左右差の研究がされてきた。ところが「左だけ」「右だけ」といった側性に関する研究はほとんど見当たらない。その点、T先生の研究データは完全に側性、しかも左一側性に関するものだから大変貴重である。
かつて私も、知り合いの歯科医院の協力を得て歯型を調べたことがある。各地の博物館に所蔵されている古人骨を観察し、下顎の側性も探ってみた。しかし下顎というのは上顎にぶら下がった構造なので、その位置は固定されたものではない。そのため側性を計測する際の、基準となる歯列水平面が設定できないのである。このような状態では、たとえ最新の3次元計測器を使ったとしても、側性の変化までは調べようがない。
ところがT先生は治療用スプリントの作製によって、「機能」を基準として側性を証明してみせた。これは歯科技工士ならではの功績である。この下顎の調査の結果が、私がこれまで実施してきた歯列不正の調査結果とも一致していたことは特筆に値する。
では「アシンメトリ現象」による歯列不正とは、具体的にはどのようなものだろうか。歯列不正の歯型を詳細に観察すると、上顎の歯茎には絞り上げたように幾重にも斜めの筋目が入っている。そして左の前歯が右の前歯にかぶさる形で生えている。(写真参照)
つまり歯列不正はランダムに起こるものではなく、何らかの規則性をもった力が働くことによって発生しているのである。もちろんその力とは「アシンメトリ現象」による左咬筋の緊張だ。アメリカの研究者による実験でも、ラットの咬筋を片側だけ切除すると頭蓋や歯列が著しく変形して歯列不正が発生していたので、この因果関係は明らかだろう。
また上顎におけるひねりの力は、そのまま下顎にも影響する。この力は咀嚼筋による上下運動と相まって、歯列不正だけでなく顎関節症の原因にもなっている。顎関節症には頚椎のズレも影響しているので、それらのズレを矯正することで顎関節症の症状が治まることはご存じの通りである。
「アシンメトリ現象」に対するモルフォセラピーの効果を検証している「モルフォセラピー医学研究所」でも、ズレの矯正によって顎関節症の症状が改善することが確認されている。さらに症状改善と同時に、噛み合わせの重心が中心に修正されることも機器による計測で明らかになった。
「アシンメトリ現象」は目で見て確認できる現象である反面、これを数値に置き換えて客観的に証明するのはむずかしい。従って今回、機器計測によって「アシンメトリ現象」の存在とモルフォセラピーの効果を確認できた意義は大きいのである。
当協会会員の多くも顎関節症などは施術対象として経験しているはずだ。しかしモルフォセラピーの効果を客観的に証明しようとするとなかなか厄介だろう。そこで今後は単に施術しておしまいにするのではなく、もう一段階進めて「効果の証明」という視点をもちながら、それぞれが研鑽に励んでいただけることを願っている。
(花山 水清)
日本人のコメ信仰が「がん」を呼ぶ!?
1980年代のバブル景気で海外旅行が盛んだったころ、日本人の多くはたかが3泊でも日本食を持参していた。本場で立派なフランス料理を食べたあとでさえ、コメのメシを恋しがっていたのである。
西洋料理には肉が多い。従ってコメに比べて消化が良い。その分、日ごろコメを食べている日本人には腹もちが悪くて物足りなかったのだろうか。
天武天皇による肉食禁止令(675年)から文明開化(1912年)まで、永きにわたって日本人は肉食をしてこなかった。そのうち「コメさえ食べていればいい」とまで考えるようになり、コメ信仰とも呼べる時代が長く続いた。
しかしコメなどの穀物は消化に時間がかかるから、西洋人に比べると日本人は腸が長い。だからわれわれは胴長・短足の体型になったのだとまでいわれている。
確か昭和のころ、国際線の飛行機に日本人が乗るとトイレのタンクがすぐいっぱいになると話題になっていた。当時の航空会社のデータによると、日本人の排泄物の量は西洋人の倍もあったという。それだけ食物繊維の摂取量が多かったのだから、腸が長くなって胴長にもなるわけだ。
とはいえ、依然としてわれわれのコメに対する信頼は厚い。そのせいでこれまで米飯食のデメリットが語られることはあまりなかった。だがコメや野菜に含まれる食物繊維の消化は、胃や腸に大きな負担をかけている。実はこのことが「アシンメトリ現象」に影響している可能性があるのだ。
前回は、コメなどの炭水化物に含まれる糖質が「アシンメトリ現象」を助長していると説明した。さらに炭水化物の残りの成分である食物繊維の影響も無視できないことがわかってきた。
そもそも人間は、草食動物のように食物繊維を分解するための酵素も細菌ももっていない。つまり食物繊維を摂っても、栄養素として取り込むことができないのである。食物繊維を分解できないから、食物を消化管に長時間滞留させることになる。すると胃で血流が滞って、交感神経による血流の切り替えもスムーズにできなくなる。
しかも血液と貯留した食物の重量も胃に負担をかけている。胃は体の左側に位置するので、その重量が増加すれば体の重心はますます左に片寄る。それが抗重力筋である脊柱起立筋の左側の緊張を増幅させ、結果として「アシンメトリ現象」を悪化させていると考えられるのだ。
では人間にとって食物繊維の役割とは何だろう。一般的には食物繊維の摂取は腸のお掃除などといわれる。それが便秘の解消につながると信じられてきた。
しかし実際のところ腸に掃除など必要なのだろうか。食物繊維を摂って一時的に大量の便が出るのが、果たして好ましいことなのか。
仮に食物繊維が「アシンメトリ現象」を助長していたならば、便秘の解消どころか消化器疾患の引き金になっている可能性すらある。
以前、世界的に見て日本人には異常に胃がんが多かった。そのため胃がんは日本人の国民病ともいわれていた。諸説はあっても、その本当の原因は当時も今もわかっていないのだ。
ところが胃がんの原因が、コメが主食だったせいだとしたらどうだろう。米飯食による糖質と食物繊維の過剰摂取だけでなく、コメの胚芽に含まれるアルカロイドや農薬などの有害物質を摂り続けた結果、「アシンメトリ現象」が悪化し、それが胃がんの原因になったのではないか。
逆に近年胃がんが減ったのも、コメを食べる人が減ったからなのかもしれない。もしそうなら、コメ文化に誇りをもつ民族としては受け入れ難い話だろう。コメ好きの私としてもこの結論はうれしくはない。
もちろん前回の糖質の話と同様、食物繊維の「アシンメトリ現象」への影響もまだ仮説の段階だ。しかし今後の研究課題として、ぜひあなたにも食物繊維について考える機会をもっていただけたらと思っている。
(花山水清)
糖質は人類にとって敵か味方か
「アシンメトリ現象」とは、人体の左半身の形態と知覚が特異的に変化する現象である。
この現象は腰痛からがんにいたるまで、さまざまな疾患と密接なかかわりをもっているのだ。
従って、人体から「アシンメトリ現象」を取り去ることができれば、それらの疾患も消去される。
モルフォセラピーは、この「アシンメトリ現象」を取り去るために開発された療法なのである。
モルフォセラピーでは、「アシンメトリ現象」を悪化させている背骨のズレへの矯正が主体となっている。
その矯正による効果を見れば、「アシンメトリ現象」と疾患との因果関係を実感できるはずだ。
だがモルフォセラピーで背骨のズレには対処できても、「アシンメトリ現象」の根本原因までは解消できない。
そもそもなぜ「アシンメトリ現象」が出現するのか。
まだその原因が完全には特定できていないのである。
これまでの調査による状況証拠では、食品添加物や殺虫剤などの化学物質、魚介類に含まれる水銀などの重金属のほか、放射線の影響も考えられる。
もちろん生活習慣や加齢が関与している可能性もある。
それらが複合的に作用することで「アシンメトリ現象」を引き起こしているのだろう。
結果として現在の地球環境は、「アシンメトリ現象」の犯人を特定するよりも、犯人でないものを探し出すほうが難しい状況になっている。
私は当初、「アシンメトリ現象」の原因物質の最有力候補は、植物毒であるアルカロイドだと考えていた。
古代において人体に有害な物質といえば、ほかには候補が見当たらなかったからだ。
ところが最近になって、なんと糖質が犯人候補として浮上してきたのである。
つまり「アシンメトリ現象」の出現も、人類が農耕を始めた1万年前にさかのぼることになる。
糖質は、脂質、たんぱく質とともに三大栄養素として、人類には重要かつ不可欠なエネルギー源だと考えられてきた。
しかしここ数年の間にその地位は大きくゆらぎ始めている。
イスラエルのテルアビブ大学の最新研究によると、本来肉食だった人類は200万年にわたる過剰狩猟によって地上の大型獣を食い尽くした。
そこで主要な食糧源を失った人類は、1万年前ごろから植物性の栄養源を取り入れることで次第に雑食化していったというのだ。
動物の食性は、肉食・草食・雑食の3つに分類され、これまで人類は雑食だといわれ続けてきた。
しかし肉が手に入らなくなった人類は仕方なく農耕を始め、そこで食性を大きく変えて雑食になったのである。
このような食性の急激な変化が、さまざまな疾患を生み出す原因になっていると私は考える。
その代表が虫歯だろう。
虫歯の原因が糖質なのはだれもが知っている。
ところが糖質が人間本来の食性に適するものであれば、他の草食や雑食の動物のように、糖質をとっても虫歯になどならないはずなのだ。
食性の変化が疾患の原因となり得ることは、草食動物である牛に肉骨粉を与えたせいで狂牛病が発生したことでもわかる。
さらに近年の研究では、糖質の摂取は糖尿病だけでなく、発がんにまで影響するといわれている。
そしてこの糖質の摂取が「アシンメトリ現象」にも影響している可能性があるのだ。
だが仮に糖質が「アシンメトリ現象」の原因物質の一つであるなら、他の有害物質とちがって、実験的に食餌から排除してみることも可能だ。
糖質の影響を抑制できれば、モルフォセラピーの効果もさらに向上するかもしれない。
このことは、「モルセラ医研」の今後の研究テーマとしても期待されているのである。
(花山水清)
モルフォセラピーとは何か
モルフォセラピーとは何か。
一言でいうなら「アシンメトリ現象」を解消する療法である。
では「アシンメトリ現象」とは何だろうか。
「アシンメトリ現象」は、人体の左側に現れる特異的な現象のことであり、おどろくほど広範囲の疾患と密接に結びついている。
したがってモルフォセラピーが対象となる疾患も、自ずと広範囲に及ぶ。
モルフォセラピーは、この「アシンメトリ現象」の原因となっている「背骨のズレ」を、手技によって矯正する療法なのである。
私はこの「背骨のズレ」に規則性があることを発見した。
その規則性にのっとって矯正を行えば、だれがやっても同じ結果が出せる。
これが「モルフォセラピーには再現性がある」という意味なのだ。
そして再現性とは科学の第一義でもある。
つまりモルフォセラピーは、「信じる・信じない」といった信仰や、まやかしを必要としない科学的な療法だといえる。
だから、私はだれにも「モルフォセラピーを信じなさい」とはいわない。
逆に疑いをもちながら実践し、施術を通して検証してみてほしいと思っている。
そもそもモルフォセラピーは、「アシンメトリ現象」の解明がテーマである。
「アシンメトリ現象」の原因や成り立ちを解き明かすことによって、「アシンメトリ現象」を伴う腰痛やがんといったような疾患のしくみまで解明できると考えられるからだ。
「アシンメトリ現象」は体の左側だけに現れる。
こういった左右差については、医学だけでなくさまざまな学問分野でも研究されてきた。
ところがそこでは、単なる左右差についてしか注目しない。
左だけ、右だけといった、側性にまで言及されることがないのである。
実は単に「左右差があること」と、その「左右差に側性まであること」とでは、問題の意味もレベルも全く違うものになる。
「アシンメトリ現象」の最大のポイントは、そこに「左だけ」という側性がある点なのだ。
科学の世界では、自然現象のなかから対称性や規則性を見つけることが最も重要だとされる。
つまり「アシンメトリ現象」の発見とは、科学史に残るほどの大発見なのである。
しかもこの発見は、医学的な問題だけにとどまらない。
何よりも重要なのは、「アシンメトリ現象」が示す左右の非対称性の意味である。
虫や鳥の絶滅種では、羽の長さなどが左右非対称になることがある。
これは生物学ではよく知られた事実だ。
そのため、ある生物が左右非対称になっていないかを調べることで、その環境の安全性の指標にすることもある。
これまでは人類がその調査の対象になったことはない。
しかし私は、「アシンメトリ現象」の存在は左右差の指標として最適だと考えているのだ。
実際、この半世紀で「アシンメトリ現象」は急増している。
日本だけでなく地球のほぼ全地域においても同様だ。
これは「アシンメトリ現象」の原因となる物質が、地球環境中に増加しているからに他ならない。
その原因物質はまだ特定できないが、状況証拠として考えられるのは、農薬や食品添加物などの化学物質、重金属、放射線の存在だ。
さらに現在は無害だとされる物質も影響している可能性はある。
それらが徐々に環境中に蔓延し、閾値に近づいたことで人体に直接影響が出るようになったのではないか。
「アシンメトリ現象」が急激に低年齢化しているのも、その結果なのである。
それゆえモルフォセラピーが目指すところも、単に「背骨のズレ」が引き起こす個々の疾患の解消だけではない。
今後さらにモルフォセラピーの実践者が増えることで、「アシンメトリ現象」の問題に当事者意識をもった仲間も増える。
彼らの叡智を結集して、人類の危機に対処することが最終目標なのである。
(花山水清)
モルフォセラピーの未来
現在モルフォセラピーの会員は全国で500名以上にもなる。
そのうちプロとして登録して活躍している方も100名を超している。
まだ小規模とはいえ、「日本モルフォセラピー協会」が設立されて10年にも満たないのに、この数字は頼もしい。
しかも昨年は、医師の関野吉晴先生を代表とする「モルフォセラピー医学研究所」が設立された。
当研究所では「アシンメトリ現象」の原因の解明が期待されている。
そこで改めて、私が思い描くモルフォセラピーの展望をお伝えしておきたいと思う。
当初からモルフォセラピーの目標は「腰痛からがんまでを家庭で治せるようにする」ことにある。
その結果、モルフォセラピーは従来の民間療法の枠を越え、医療の概念を覆す、いわば革命となるものと認識している。
従来は、病気には医療の専門家がその治療に当たっていた。
しかしモルフォセラピーの技術を用いれば、おどろくほど多くの病気が家庭や職場の身近な人の手によって気楽に対処できるのである。
これはだれもが理想とする形だが、現実にはあり得ないことだと思うだろう。
ところがモルフォセラピーの最大の特徴は再現性にある。
モルフォセラピーにおける再現性とは、同じことをやればだれでも同じ結果が得られるという意味である。
もちろん技術の巧拙によって、結果に多少の違いはある。
しかし逆に、今日モルフォセラピーを覚えたばかりの人が、ベテランよりも鮮やかに治してしまう可能性もあるのだ。
したがってモルフォセラピーが普及していけば、近い将来、治療の専門家の出番は減少する。
だが今後モルフォセラピーの習得者には、治療家としてだけでなく、技術普及の指導者として活躍していただきたい。
そしてモルフォセラピーを世界中の家庭へ伝える役割を担っていただきたいのである。
さらにいえば、モルフォセラピーは未完の療法である点も認識しておきたい。
私は「アシンメトリ現象」の原因の解明とモルフォセラピーの技術開発に20年以上の歳月を費やしたが、「家庭でのがんの完治」にはまだ到達できていない。
ぜひ、その技術革新にもご協力いただきたいのだ。
協会の設立以来、加速度的に実践者が増えたおかげで、技術の進化速度も格段に向上した。
そこには無限の可能性があり、モルフォセラピーの将来には明るい展望がある。
実は民間療法の世界では、小さなお山の大将の一代で終わる人が圧倒的に多い。
それは「自分が」「自分だけが」といった我欲に支配されて本質を見失うからだ。
モルフォセラピーの本質は利他の精神にある。
みながその自覚をもって共に学んでいけたら、そこには夢のようなすばらしい世界が待っていると私は思っている。
(花山 水清)
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